南スマトラ地区の概略


 1.はじめに

 

インドネシアは東南アジア南部、赤道付近に17千もの島々からなる国で、総面積は1,919,440km2、東西に約5,000km、総人口24千万人となっている。(2008年)

インドネシアの鉄道はインドネシア鉄道会社(PT. Kereta Api「ぺーテー、クレタアピ」以下PT.KAと略す)によって運営されているが、現在路線を持つのは首都のあるジャワ島と西となりのスマトラ島のみである。首都ジャカルタでは都営三田線6000系をはじめとしJR103系、営団5000系、東葉高速1000系、東急8000系等が譲渡され話題になっているが、スマトラ島の鉄道に関してはこれまでほとんど知られていない。

 

2.スマトラの鉄道の概要

 

スマトラ島は総面積473,600km2、北西から南東まで約1750kmの細長い島で、面積世界第6位の島である。日本が総面積377,800km2、稚内から鹿児島まで約1750kmであることから、スマトラ島の大きさがお解りいただけるであろう。人口は約45百万人となっており、現在も増加が続いている。(2008年)

インドネシアの鉄道は先ほど述べたようにPT.KAによって運営されており、現在はジャワ島とスマトラ島で運行されている。ジャワ島の鉄道は首都ジャカルタを中心に各主要都市を結ぶように路線網が発達しているが、スマトラ島においては、北部のメダン、中部のパダン、南部のパレンバンの3箇所に分かれておりそれぞれつながってはいない。

 

3.南スマトラの路線の概要

 

南スマトラの鉄道はスマトラ島最南端ランプン州都バンダルランプン市内のパンジャン駅を起点とし、南スマトラ州都パレンバン市内のクルタパティまでの399.802kmの路線及び、途中のプラブムリから分岐し、北西部のルブックリンガウまでの228.184kmの路線が骨格となっている。このほか、ムアラエニムからタンジュンエニムバルまでの石炭専用線および、Km3からタラハンまでの港湾専用線、パレンバン近郊のインドララヤへの通学専用支線の3つの支線と、プラブムリ付近には貨物列車用のデルタ線がある。ただし、起点に当たるパンジャンから隣のピダダまでは休止(線路は無く事実上廃止)となっている。これらの位置関係を「南スマトラ地区鉄道地図」に示す。

 路線は軌間1067mmで日本と全く同じであり、総延長645.744km、ごく一部を除き単線、全線非電化である。駅数は62で全交換駅、分岐のための信号場が4箇所ある。これらの位置関係を「南スマトラ地区鉄道地図」に、一覧を「南スマトラ地区路線紹介」に示す。

 車両の修理工場はラハットにあり、重要な検査・修理・改造等はここで行われている。このほか、機関区はタンジュンカラン及び同タラハン支区、クルタパティ及び同ルブックリンガウ支区が設けられている。客車区はタンジュンカラン及びクルタパティに、貨車区はレジョサリ及びタンジュンエニムバルに存在する。

 貨物専用線はタラハン・ピダダ・ティガガジャ・クルタパティ・ニル・タンジュンエニムバル・ラハット・ルブックリンガウの7駅に存在する。

 

4.歴史

 

南スマトラ地区の鉄道の歴史は古く、1913年にランプン市内のパンジャンからタンジュンカランまで開通したのが始まりとなっている。このとき、当時のランプン市内の中心街であるトゥルックブトゥンまでも開通している。その後順調に北上を進めていった。また、南スマトラ州都のパレンバン市内クルタパティからも南に向けて線路を伸ばし、途中ブランバンガンウンプ―トゥルンブユット間を最後にランプンからパレンバンまで線路がつながった。

更に、線路はスマトラ島を縦断するようにパダン・メダンを目指し、ムアラエニム・ルブックリンガウと線路を伸ばしていったが、ここで北上は止まってしまった。

ムアラエニム付近のタンジュンエニムでは石炭を産出することから鉄道輸送することとなり、ムアラエニムからタンジュンエニムまでの支線が開通した。

 しばらくこの状態で路線網が推移したが、1980年代以降になって路線網に変化が現れた。

 1986年にはタンジュンエニムにある炭鉱(ブキットアサム炭鉱)からの輸送を改善することとなりプラブムリ―タンジュンエニム間にタンジュンエニムバル(バルとは「新」という意味)駅を開設し、ここに炭鉱からの専用線を集約し効率化を図ることとした。また、石炭は従来パレンバン市内のクルタパティまで輸送されていたが、ジャワ島に石炭火力発電所が開設されたことを受け、ジャワ島に程近いランプン市内まで石炭を鉄道輸送することになった。このとき、3km地点(Km3)から分岐し、港湾地帯に設けられた石炭積み出し設備へと向かう新線が開通し、タラハン駅が開設された。更に、タンジュンエニムバルからタラハン行きの石炭列車は途中プラブムリでスイッチバックする形となり非効率なため、ここにデルタ線が開通し、デルタ線上に退避駅としてプラブムリバル駅が、2箇所の分岐地点にPbrx5Pbrx6という信号場がそれぞれ開設された。

 1990年代になると、それまでランプン州の中心街であったトゥルックブトゥンは次第に衰退し、タンジュンカラン付近に繁華街が移ってしまった。そのため、Km6からトゥルックブトゥンまでの区間は廃止されてしまった。

 タンジュンエニムは、1986年にタンジュンエニムバルが開業してから11往復の旅客のみを扱っていたが、バス等他の交通機関の攻勢を受け、2000年頃にタンジュンエニムバル―タンジュンエニム間が廃止されてしまった。これによりタンジュンエニム支線は貨物のみを扱う貨物支線となってしまった。

 同じく2000年頃には、ランプン市内からジャワ島への航路が鉄道の起点であるパンジャンから更にジャワ島に近いバカウニへ移転してしまったことによりパンジャン駅の存在価値が無くなり廃止されてしまった。

 2008年には、パレンバン市郊外のインドララヤに大学が開校し、大学への通学輸送のためにシンパン―パヤカブン間から分岐する新線を建設、インドララヤ駅が開設された。大学開設のためわざわざ新線を開業させたが、列車は12往復しか来ない。


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