キハ27 19



1961年10月25日東急車両製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で函館運転所に新製配置された。同一ロット17〜19全車が函館へ配置された。函館では新設された三階建急行の「オホーツク」「宗谷」「摩周」で使用されたが、輸送力の増加に伴いこの3階建て急行も後にそれぞれ単独運転となった。1965年には急行「宗谷」の付属編成の運用が旭川へ移管され、当車も旭川へ転属した。以降旭川ではこの急行「宗谷」の付属編成及び急行「かむい」等で長く活躍した。国鉄末期の「56-10改正」では石勝線開業に伴い運転系統の整理が行われ、急行「宗谷」は札幌で運用分離され苗穂の担当となったことから、旭川では主に急行「かむい」の運用のみとなり、次第に普通列車でも使用されるようになった。しかし「59-2改正」で急行の減車等が行われると余剰気味となるが、当車は余剰車の有効活用から1986年3月26日付で釧路へ転属した。釧路では急行「しれとこ」や「ノサップ」で使用されたが、「61-11改正」で急行「ノサップ」の単行化や急行「しれとこ」の格下げにより余剰となり、1986年12月27日付で廃車となった。

前面は、旭川工場で前面補強されている。ワイパーは、WP50に改造されており、正面窓下の手すりは左右ともに同じ長さのまま位置が若干低いという旭川工場標準の形態である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。当車は温水暖房付きの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は、ステップ下部に台座付きで設置されている。当車はタイフォン横にあったステップが1次車に準じタイフォン上へ移設されており、旭川で一部見られた特徴であった。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは外ばめ式に改造されている。正面窓上の通風口は左右とも残存している。
側面はほぼ原形のままであり、原形の戸当たりレール2本のドアが付いている。
屋根上は、原形のままである。
床下も原形のままである。


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