キハ27 31



1962年4月30日東急車両製の3次車で、昭和36年度利用債で苗穂機関区に新製配置された。同一ロット29〜32全車が苗穂へ配置された。苗穂機関区では道内全域の急行で使用されたが、1966年に札幌運転区が開区すると一部の運用は札幌へ移管され、当車も札幌運転区へ転属した。札幌では主に千歳線・室蘭本線の急行「すずらん」「ちとせ」「えりも」を主体に運用されるようになった。しかし「55-10改正」で室蘭までの電化が完成すると急行「ちとせ」が大幅削減され、当車は1980年9月30日付で旭川へ転属した。旭川では残った急行「かむい」や「礼文」「大雪」「狩勝」の他、普通列車で活躍したが、1981年10月改正で石勝線が開通すると急行「狩勝」の運用が変更され、当車は1981年10月6日付で池田へ転属した。池田では急行「狩勝」付属編成等で活躍したが、「59-2改正」で池田機関区が廃止され釧路へ統合され、当車も1984年2月1日付で釧路へ転属した。釧路では急行「狩勝」「ノサップ」「しれとこ」や根室本線・釧網本線の普通列車で活躍した。しかし国鉄最後の「61-11改正」では急行「ノサップ」のキハ53単行化や急行「しれとこ」「狩勝」の快速格下げが行われると余剰となるが、当車は0番台車にも関わらずJRへの継承対象となり、1986年11月1日付で旭川へ転属した。旭川では主に普通列車や波動用として活躍しそのままJR北海道へ継承された。JR化後も引き続き旭川配置で普通列車をはじめ臨時列車・波動用として活躍したが、1988年11月3日の札幌駅高架化に伴うダイヤ改正で函館本線普通列車の電車化が推進され余剰となり、1988年12月30日付で廃車となった。

前面は、釧路工場で前面補強されている。ワイパーは、WP50に改造されており、正面窓下の手すりは運転席側のみ短くなっているのは釧路の特徴である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。当車は温水暖房付きの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は、タイフォン横ステップ下部へ台座付きで設置されている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは原形の内ばめ式である。正面窓上の通風口は両側とも残存している。
側面は、原形の戸当たりレール2本のドアが付いている。当車は前位側雨どい縦管が腐食のため車体外側に露出したものに改造されている。便所側面には、汚物処理装置の点検蓋が取り付けられている。
屋根上は、ほぼ原形のままである。
床下は、後位側に便所の汚物処理装置が設置されている。当次車は床下水タンクが鋼製タンクで新製されたが、後にFRP製タンクに交換されている。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る