キハ27 41



1962年9月20日帝国車両製の4次車で、昭和37年度本予算で函館運転所に新製配置された。同一ロット40〜43全車が函館へ配置された。函館では三階建急行の「オホーツク」「宗谷」「摩周」を中心に使用された。輸送力の増加に伴いこの3階建て急行もそれぞれ単独運転となった。1969年には一部運用が旭川へ移管され、当車も旭川へ転属した。以降旭川では急行「宗谷」の付属編成及び急行「かむい」等で長く活躍した。国鉄末期の「56-10改正」では石勝線開業に伴い運転系統の整理が行われ、急行「宗谷」は札幌で運用分離され苗穂の担当となったことから、旭川では主に急行「かむい」の運用のみとなり、次第に普通列車でも使用されるようになった。しかし「59-2改正」で急行の減車等が行われると余剰となり、当車は余剰車の有効活用から簡易お座敷車に改造され、急行や普通列車に増結され使用された。しかしJRへの継承対象とはならず、1987年3月16日付で廃車となった。

前面は、旭川工場で前面補強されている。ワイパーは、WP50に改造されており、正面窓下の手すりは左右ともに同じ長さのままという旭川工場標準の形態である。当車は前面補強に際し、ステップの位置が1次車と同じタイフォン上部へ移設された変形車である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。当車は温水暖房付きの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は、タイフォン横に台座付きで設置されている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは北海道では珍しく外ばめ式に改造されている。当車は正面貫通扉の窓がHゴムなしの長方形となっており、他には同様の改造例は見られず極めて特異な存在である。
側面は、キハ27 40〜43の4両は函館時代に6-3次車以降の新製車に準じた運転席側窓のバランサー点検蓋が増設されている。その他はほぼ原形のままであり、原形の戸当たりレール2本のドアが付いている。
屋根上は、ほぼ原形のままである。
床下はほぼ原形である。4次車からは床下の発電動機箱は設置されていない。


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