キハ27 103



1963年5月22日帝国車両製の5-1次車で、昭和37年度第2次債務で函館運転所に新製配置された。同一ロット101〜103全車が函館へ配置された。函館では長大編成を組む「オホーツク」「宗谷」「摩周」で従来の0番台に代わり使用開始した。その後も函館で長く使用され、「ヨンサントオ改正」以降は主に急行「宗谷」「ニセコ」「すずらん」で長く使用された。「56-10改正」で急行「宗谷」が系統分離され苗穂へ移管後は函館周辺の普通列車や臨時・季節急行で活躍し、そのままJR北海道へ継承された。JR化後も引き続き主に波動輸送で使用されたが、運用の減少により経年の若いキハ56が捻出されたことからこれらに置き換えられ、1991年4月10日付で廃車となった。

前面は、函館時代に五稜郭工場で前面補強されている。ワイパーは、WP50に改造されており、左右の正面窓下の手すり位置が下げられた五稜郭工場標準の形態である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。ジャンパ栓には温水暖房が取り付けられている。放送ジャンパ受栓は設けられておらず、ケーブルも見当たらない。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは原形の内ばめ式である。正面窓上の通風口は左右とも残置されている。函館の気動車は他の北海道地区と異なり乗務員室側正面窓下に車番表記がなく、本州に準じて貫通ドア折板に形式番号が書かれている。またその折板は灰色で塗装されている。
側面は、乗降扉は4次車までと同様戸当たりレールが2本あり、更に下部隅に丸窓の設けられたドアを新製時より取り付けている。側面のサボ挿しは確認できる資料では原形の位置のままで、車体中央部窓間下部へ移設されたかどうかは不明である。便所側面には、汚物処理装置の点検蓋が取り付けられている。また函館の5次車までの車両は6-3次車以降と同形の運転席側窓のバランサー点検蓋が設置されており、当車も改造されている。
屋根上は、ほぼ原形のままである。
床下は、後位側に便所の汚物処理装置が設置されている。当次車は床下水タンクが鋼製タンクで新製されたが、後にFRP製タンクに交換されている。


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