キハ27 104



1963年11月29日東急車両製の5-2次車で、昭和38年度民有債で函館運転所に新製配置された。同一ロット104〜107全車が函館へ配置された。函館では長大編成を組む「オホーツク」「宗谷」「摩周」で従来の0番台に代わり使用開始した。その後も函館で長く使用され、「ヨンサントオ改正」以降は主に急行「宗谷」「ニセコ」「すずらん」で長く使用された。「56-10改正」で急行「宗谷」が系統分離され苗穂へ移管後は函館周辺の普通列車や臨時・季節急行で活躍した。国鉄末期の「60-3改正」後は臨時急行「すずらん」設定の機会も少なくなり当車は他の老朽車置き換えのため1985年3月25日付で釧路へ転属した。釧路では急行「狩勝」「ノサップ」「しれとこ」や根室本線・釧網本線の普通列車で活躍した。国鉄最後の「61-11改正」では急行「ノサップ」のキハ53単行化や急行「しれとこ」「狩勝」の快速格下げ・減車により余剰となるが、旭川の老朽車淘汰のため1986年11月1日付で旭川へ転属した。そしてそのままJR北海道へ継承された。旭川では道北各線の普通列車で他形式に混じり活躍したが、1988年11月3日の札幌駅高架化に伴うダイヤ改正で函館本線普通列車の電車化が推進され余剰となり、1988年12月30日付で廃車となった。

イラスト及び説明は国鉄末期の函館時代のものである。
前面は、函館時代に五稜郭工場で前面補強されている。ワイパーは、WP50に改造されており、左右の正面窓下の手すり位置が下げられた五稜郭工場標準の形態である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。ジャンパ栓には温水暖房が取り付けられている。放送ジャンパ受栓は設けられておらず、ケーブルは標識灯掛けに引っ掛けられているケースが多かった。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは外ばめ式に改造されている。正面窓上の通風口は左右とも残置されている。函館の気動車は他の北海道地区と異なり乗務員室側正面窓下に車番表記がなく、本州に準じて貫通ドア折板に形式番号が書かれている。またその折板は灰色で塗装されている。
側面は、乗降扉は原形の戸当たりレール2本で扉下部隅に丸窓の付いたドアが付いている。便所側面には、汚物処理装置の点検蓋が取り付けられている。また函館の5次車までの車両は6-3次車以降と同形の運転席側窓のバランサー点検蓋が設置されており、当車も改造されている。
屋根上は、ほぼ原形のままである。
床下は、後位側に便所の汚物処理装置が設置されている。当次車は床下水タンクが鋼製タンクで新製されたが、後にFRP製タンクに交換されている。


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