キハ27 121



1966年5月6日帝国車両製の6-6次車で、昭和40年度第1次債務で苗穂機関区に新製配置された。同一ロット121〜124全車が苗穂へ配置された。苗穂では道内全域の急行で使用されたが、新製直後の1966年度中に札幌運転区の拡張により同区へ転出している。札幌では苗穂と同様道内全域の急行で活躍したが、次第に千歳線・室蘭本線の急行を主体に運用されるようになった。国鉄末期の急行削減後は残った急行「ちとせ」のみで活躍し、そのままJR北海道へ継承された。JR化後は札幌運転所の急行型気動車配置の廃止に伴い、1988年3月3日付で苗穂へ転属した。苗穂では引き続き残った急行の他、主に普通列車や波動用で活躍するようになったが、波動輸送の特急型化により急行型の運用は減少し、当車は釧路の初期車を置き換えるため1989年3月11日付で釧路へ転属した。釧路では快速「狩勝」「ぬさまい」や普通列車・波動用で活躍したが、普通列車の短編成化・ワンマン化の進行により余剰となり、1993年3月5日付で廃車となった。

前面は、苗穂工場で前面補強されている。ワイパーは、WP50に改造されており、正面窓下の手すりは左右ともに短い手すりに改造された、苗穂工場標準の形態である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。6-6次車は温水暖房付きの制御用ジャンパ受栓を取り付けている。放送ジャンパ受栓は、原形のステップ一体型となっている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは新製時より外ばめ式である。正面窓上の通風口は左右とも撤去されている。
側面は、乗降扉は4次車までの初期車が付けていた戸当たりレール2本のドアが付いている。側面のサボ挿しは確認できる資料では原形の位置のままで、車体中央部窓間下部へ移設されたかどうかは不明である。便所側面には、汚物処理装置の点検蓋が取り付けられている。
屋根上は、ほぼ原形のままであるが、キハ27の6-6次車6両は千鳥配置の通風器の配列が他のキハ27・28と左右逆になっている異端グループである。
床下はほぼ原形であるが、後位側に汚物処理装置が取り付けられている。


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