キハ28 4 → キハ28 2004



1961年5月24日東急車両製の1-1次車で、昭和35年度債務で米子機関区に新製配置された。同一ロット3〜6のうち、4〜6が米子へ配置された。米子では急行「だいせん」をはじめとして山陰本線・伯備線の急行列車で活躍した。需給の関係で1962年度中ごろに宮原へ転属したものの、1963年には多治見に転じている。多治見では中央西線や高山本線の急行で使用されたが、1965年度中に美濃太田気動車基地開設により美濃太田機関区へ転属している。しかし美濃太田時代は長くなく、1966年に増備車が投入された関係か、同年中に千葉に転じている。千葉では房総地区の急行に使用されたのち、1967年の夏季輸送終了後には高松に転じた。高松では四国全域の急行で使用されたが、1970年にキハ65が投入されると玉突きで再び千葉に転じている。その後1971年7月8日付で冷房化及び4VK発電ユニット搭載改造が行われ2004へ改番された。しかし改番後も千葉では長居せず、1972年の内房外房電化によりねん出され、再び高松に転じた。この高松でもあまり長続きせず、1977年3月改正で急行「あしずり」1往復が特急「しおかぜ」に格上げされた際にねん出され、1977年3月27日付で岡山に転じた。岡山では急行「みささ」「砂丘」などで活躍をしたが、59-2改正で余剰となり1984年2月5日付で鳥取に転ずるも、1985年5月7日付で廃車となった。

前面は、岡山時代に高砂工場で前面補強が施工されてる。ワイパーは原形のままながら、正面窓下の手すりは左右共に位置が下がっており、この地区にしては珍しい形態である。尾灯は左右とも外ばめ式に改造されており、岡山ではよく見られた形態である。タイフォンカバーはスリット式のままである。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で寄り添う位置へ移設されている。足掛けは左右共に設置されていない。放送用ジャンパ受栓は、高砂工場に良くみられるタイフォンと尾灯の間付近に移設されている。また、千葉時代の名残で貫通扉にヘッドマークステイが取り付けられているが、位置が若干低いように思われる。
側面はほぼ原形であるが、3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点は無い。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。5次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、1位側乗務員室床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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