キハ28 7 → キハ28 2007



1961年6月8日東急車両製の1-1次車で、昭和35年度債務で広島機関区に新製配置された。同一ロット7〜10全車が広島へ配置された。広島では急行「宮島」等、山陽本線の急行列車で使用開始した。1962年には山陽本線広島までの電化が完成し、1962年12月21日付で小郡へ転属するが、1963年度上期には広島へ戻っている。山陽本線の全線電化後は九州へ乗り入れる急行「青島」で活躍したが、1964年に新潟よりキハ28 60・61が転入すると広島のキハ28 7・8が捻出され、当車は1964年9月で名古屋へ転出した。名古屋では急行「のりくら」「紀州」「きそ」等、名古屋を起点とする急行列車で使用された。1967年度には需給の関係で美濃太田へ転属するが、引き続き急行「のりくら」等名古屋を起点とする急行で活躍した。1968年10月には金沢との間で運用移管があり、当車は金沢へ転出し、急行「大社」の金沢編成や急行「ゆのくに」等で活躍した。1972年に3月改正では需給の関係で名古屋へ移動し、再び名古屋を起点とする急行「のりくら」や「紀州」等で活躍した。そして1972年7月10日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2007へ改番された。同年度中に美濃太田へ移動したが引き続き名古屋周辺の急行で活躍した。1976年10月のダイヤ改正では特急「ひだ」の増発や特急「北アルプス」設定による運用変更があり、当車はでは10月1日付で名古屋へ転属した。「53-10改正」では中部地区の急行の大幅削減が行われ、この際に当車は1978年9月28日付で七尾へ転出し、七尾線の急行「能登路」の冷房化のために使用されるようになった。七尾には各地から比較的車齢の高い初期車が集められたが、国鉄最後の「61-11改正」時に、廃止が決まっていた越美南線を運用していた美濃太田機関区との間で車両交換が行われ、美濃太田から後期車が七尾へ転出し、当車は1986年10月30日付で美濃太田へ転出した。その後予定通り1986年12月10日越美南線の廃止で余剰となり、JRに継承されること無く、1987年2月9日付で廃車となった。兄弟の2008とは国鉄末期まで似たような人生を歩んだが、2008がJRへ継承され急行「能登路」の最後まで活躍し2002年まで在籍したのに対し、当車はJRへ継承されることなく廃車になったのは対照的であった。

前面は、七尾時代に前面補強されているが、境界線が平滑に仕上げられており補強板の形状は分かりづらい。正面窓上の水切りは撤去されている。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンカバーはスリット式であるが、助手席側に金沢地区特有の傘タイプのカバーが付いている。制御用ジャンパ受栓は左右離れた位置に付いている。ステップは1次車原形の、タイフォン上部に設置されている。放送用ジャンパ受栓は、ステップ一体型となっている。
側面では、正面から側面に回り込む雨どいが撤去されている。運転室窓のバランサー点検蓋が追設されており、塞ぎ板が溶接されている。0番台車ながら長大編成対応の5次車以降に準じ乗降扉下部隅に丸窓が開けられている。3位側側面に4VK冷房発電セットの吸気口が開けられている。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。七尾時代末期に、JR継承が予定されていたのか列車無線アンテナが取り付けられていた。
床下は、後位側に4VK冷房発電セットが搭載されている。水タンクは原形の鋼製タンクのままである。5次車までが装備していた発電動機箱は、1位側助手席床下に設置されている。


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