キハ28 14 → キハ28 2014



1961年11月30日新潟鐵工製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で和歌山機関区に新製配置された。同一ロット14〜17全車が和歌山へ配置された。和歌山では急行「きのくに」等、紀勢本線の急行列車で使用開始した。しかし1963年には和歌山に大量の長大編成用300番台車が新製投入され当車は捻出され、1963年12月16日付で小牛田へ転出した。その後は同年度中に秋田へ移動し引き続き東北地区で活躍するが、1964年11月28日には多治見へ移動し主に中央西線の急行「きそ」で使用されるようになった。1968年10月改正で多治見区は新設された美濃太田機関区の気動車検修庫の完成により、美濃太田へ転出した。美濃太田では名古屋を起点とする各方面の急行に使用され、1969年度には需給の関係でお隣の名古屋へ転出したが引き続き用途は同じであった。名古屋では急行「のりくら」「きそ」「紀州」等で長く活躍したが、中部地区の気動車急行の大幅削減が行われた「53-10改正」で名古屋を離れ、七尾へ転出した。当時七尾へは冷房キハ58系が続々転入していたが当車は非冷房のまま七尾へ転出していた。七尾では冷房車の転入により非冷房車は転出が相次いだが当車はキハ58系冷房化の最末期となる1980年3月14日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2014へ改番された。以降引き続き七尾線の急行「能登路」で長く使用され、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は1988年の能登線廃止により七尾のキハ58系には余剰が出ており、当車は山陰本線京都口の客車列車を気動車化する際に活用されることになり、1988年9月10日付で福知山へ転出した。この当時七尾にいた車両のうち、若番車や非冷房車が主に転出した。その直後の1989年3月ダイヤ改正では、山陰本線保津峡新線切り替えにより所要時間が短縮し運用数が減ったことにより余剰となるが、当車は幸運にも七尾へ戻ることとなり、1989年3月11日付で七尾へ転出した。七尾では近郊化改造されず引き続き急行を中心に使用され、1989年8月30日付で「七尾急行色」へ塗装変更された。1991年9月1日のダイヤ改正では七尾線の和倉温泉までの電化及び以遠の第三セクター化が行われ七尾の気動車配置は廃止されたが、当車は引き続き残った急行「能登路」用として1991年9月1日付で金沢運転所へ転出し、その後1991年11月13日付で黄色ベースの「能登路色」へ変更された。以後急行「能登路」で引き続き活躍したが、2001年3月改正で急行「能登路」は縮小され、当車は2001年3月6日付けで鳥取へ移動した。これは、鳥取では既に車両の置き換えが決定していたが、検査切れの近い車両に新たに検査を受けさせることは得策でないため、検査期限に余裕のある当車が期限切れの車両入れ替わるように使用されたものである。鳥取では黄色の「能登路色」のまま山陰本線で使用され、異彩を放っていた。当時山陰本線は急行色で統一されていたため、バラエティに富む反面、編成美が崩れ、痛し痒しであった。このピンチヒッターも長く続かず、2003年2月10日で廃車となった。

前面は、七尾時代に前面補強されているが、境界線が平滑に仕上げられており補強板の形状は分かりづらい。正面窓上の水切りは延命工事の際に撤去されているが、通風口は当時の金沢地区では珍しくそのまま残っている。延命工事施工時に熱線入りガラスに変更されたのでデフロスタは装備しない。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。テールライトは外ばめ式に改造されている。タイフォンカバーはスリット式であるが、助手席側に金沢地区特有の傘タイプのカバーが付いている。制御用ジャンパ受栓は左右離れた位置に付いている。放送用ジャンパ受栓は、後期車に準じステップ一体型に改造されている。
側面では、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。正面雨どいが撤去された関係で、乗務員室側窓上部に水切りが追加されている。運転室窓のバランサー点検蓋が追設されており、塞ぎ板が溶接されている。乗降ドアの戸袋点検蓋が、後期車のような横長のものに更新されている。
屋根上は延命時にすべての通風器がガーランドベンチレーターに交換されているが、1999年頃には前位側の2基が斜めカットの箱型通風器に交換されている。
床下機器は1990年代以降の松任工場標準の、グレー台車になっている。油タンクは角型の新型に更新されている。後位側では、汚物処理タンクが設置されている。


以下、形態の変遷を示す。


1990年頃

七尾線電化前の七尾急行色時代。七尾車では珍しくタブレットキャッチャーを付けていた。



1993年頃

↑能登路用延命工事施工後の姿。1993年頃時点では床下の水タンクや油タンクは原形で、乗降ドア下部には丸窓が残っていた。



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