キハ28 15 → キハ28 2015



1961年11月30日新潟鐵工製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で和歌山機関区に新製配置された。同一ロット14〜17全車が和歌山へ配置された。和歌山では急行「きのくに」等、紀勢本線の急行列車で使用開始した。しかし1963年には和歌山に大量の長大編成用300番台車が新製投入され当車は捻出され、1963年12月16日付で小牛田へ転出した。その後は同年度中に秋田へ移動し引き続き東北地区で活躍するが、1964年11月28日には美濃太田へ移動し、名古屋を起点とする各方面の急行に使用されるようになった。1969年度には需給の関係でお隣の名古屋へ転出したが引き続き用途は同じであった。名古屋では急行「のりくら」「きそ」「紀州」等で長く活躍し、1976年10月1日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2015へ改番された。その後中部地区の気動車急行の大幅削減が行われた「53-10改正」で名古屋を離れ、七尾へ転出した。七尾では七尾線の急行「能登路」で長く使用され、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は近郊化改造されず引き続き急行「能登路」を中心に使用され、1988年2月17日付で「七尾急行色」へ塗装変更された。1991年9月1日のダイヤ改正では七尾線の和倉温泉までの電化及び以遠の第三セクター化が行われ七尾の気動車配置は廃止され、当車は9月中に小郡へ転出した。小郡ではそれまでの50系客車に代わり山陰本線西部や山口線で活躍を開始した。転入後黄色ベースの「広島普通色」へ塗装変更されている。途中1995年10月1日には組織改正で山口鉄道部となったが運用は変わらない。小郡では長く活躍したが、1990年代後半降各地からキハ40系が転入し、当車は老朽化のため2000年3月31日付で廃車となった。

前面は、七尾時代に前面補強されているが、境界線が平滑に仕上げられており補強板の形状は分かりづらい。正面窓上の水切りは延命工事の際に撤去されているが、通風口は当時の金沢地区では珍しくそのまま残っている。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。テールライトは外ばめ式に改造されている。タイフォンカバーはスリット式である。制御用ジャンパ受栓は左右離れた位置に付いている。放送用ジャンパ受栓は、ステップ下部に台座付きで設置されている。
側面では、運転室窓のバランサー点検蓋が追設されており、塞ぎ板が溶接されている。前面窓から延びる水切りが撤去されている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。また広島地区の特徴として側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。最末期に通風器が交換されたかどうかは不明である。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは新型のFRP製に交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は後位4位側デッキ下に移設されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。



以下、形態の変遷を示す。


1990年頃

七尾線電化前の七尾急行色時代。クーラーはルーバーがメッシュタイプのキセを付けていた。



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