キハ28 17



1961年11月30日新潟鐵工製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で和歌山機関区に新製配置された。同一ロット14〜17全車が和歌山へ配置された。和歌山では急行「きのくに」等、紀勢本線の急行列車で使用開始した。しかし1963年には和歌山に大量の長大編成用300番台車が新製投入され当車は捻出され、1963年12月27日付で小牛田へ転出した。小牛田では急行「陸中」「たざわ」等、東北本線北部の急行で使用されたが、長大編成対応の300番台が当区にも投入されると玉突きで転出することになり、まず北海道の夏季輸送で使用するため1964年5月27日付で函館へ転出し、9月21日付で郡山へ転属した。しかしすぐ需給の関係で11月7日付で水戸へ転属した。水戸では急行「ときわ・奥久慈」等で活躍したが、冷房化されることはなかった。その後「53-10改正」で水戸へ冷房キハ58が転入したことから非冷房の若番車は捻出され、当車は1978年10月10日付で直方へ転属した。直方ではキハ10系やキハ26に代わり筑豊地区の普通列車でキハ28 800番台に混じって使用された。同時に水戸から大分へ転属した16はその後冷房化されたにも関わらず、直方に転属した当車は普通列車専業ということもあり非冷房のままであった。その後1980年代のキハ40系新製や国鉄末期の筑豊地区の地方交通線廃止により余剰となり、1986年6月30日付で廃車となった。その後同車は室木線の廃線跡である鞍手駅跡地で保存されていたが、2003年7月に解体されてしまって現存しない。

前面は、ほぼ原形である。前面補強は施工されていない。ワイパーは原形のWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形のままである。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。テールライトは原形の内ばめ式のままである。放送用ジャンパ受栓は、ステップ下部に設置されている。
側面もほぼ原形であるが、水戸時代に運転室窓のバランサー点検蓋が追設されており、塞ぎ板がボルト止めされている。
屋根上は、水戸時代に常磐無線アンテナが搭載されていたが、直方ではアンテナが取り外されていた。台座類は残っていたと思われるが詳細は不明である。
床下機器もほぼ原形である。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、2-4位側床下に設置されている。


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