キハ28 19 → キハ28 2019



1961年12月7日新潟鐵工製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で和歌山機関区に新製配置された。同一ロット18〜21のうち、18〜20が和歌山へ配置された。和歌山では急行「きのくに」をはじめ紀勢本線の急行列車で使用されたが、1963年に和歌山へ長大編成用の300番台が大量新製されると0番台車は他区へ転出し、当車は1963年10月10日付で高松へ転属した。高松では四国全域の急行で活躍した。1966年夏は房総地区の夏季輸送に駆り出され、1966年6月22日付で千葉へ転属したが、同年8月24日付で高松へ転属している。1970年以降は山岳路線の冷房化のため高松へキハ65が投入され、非冷房のキハ28は他区へ回る転配が行われ当車もその対象となり、1970年6月29日付で千葉へ転属し房総地区の夏季海水浴輸送に使用されたのち、1970年9月12日付で宮原へ転属した。宮原では急行「みささ」「ちくま」「ゆのくに」「丹波」等、大阪を起点とする急行で広範囲に使用された。1972年3月のダイヤ改正では山陽新幹線岡山開業に伴い急行の再編が行われ、この際の転配で隣の向日町へ移動した。向日町では京都を起点とする紀伊半島方面の急行で主に使用されたが、向日町へキハ65が投入されたことから1973年10月21日付で名古屋へ転属した。名古屋では急行「のりくら」「紀州」「きそ」等、名古屋を起点とする急行列車で使用された。しかし当車は非冷房のままで名古屋で過ごし、1976年7月に長崎本線電化に伴い九州から冷房キハ28が転入すると捻出され、1976年7月8日付で七尾へ転出した。七尾ではキハ55系に代わり急行「能登路」で非冷房のまま活躍した。その後「53-10改正」では中央西線を中心とする中部地区の気動車急行の大幅削減が行われ、この際に冷房キハ58系が大量に七尾へ転入した。以降七尾では急行の冷房化が急速に進められ、当車は1979年2月18日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2019へ改番された。以降引き続き七尾線の急行「能登路」で活躍した。七尾には各地から比較的車齢の高い初期車が集められたが、国鉄最後の「61-11改正」時に、廃止が決まっていた越美南線を運用していた美濃太田機関区との間で車両交換が行われ、美濃太田から後期車が七尾へ転出し、当車は1986年10月30日付で美濃太田へ転出した。その後予定通り1986年12月10日越美南線の廃止で余剰となり、JRに継承されること無く、1987年2月9日付で廃車となった。

前面は、前面補強されてない。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンカバーはスリット式であるが、助手席側に金沢地区特有の傘タイプのカバーが付いている。制御用ジャンパ受栓はタイフォン下部で寄り添う位置へ移設されている。四国時代の名残でステップ上部に更にステップ一体型の放送ジャンパ受けを追設している。当車は千葉時代のヘッドマークステイを貫通扉に残している。
側面では、運転室窓のバランサー点検蓋が追設されており、塞ぎ板が溶接されている。0番台車ながら長大編成対応の5次車以降に準じ乗降扉下部隅に丸窓が開けられている。3位側側面に4VK冷房発電セットの吸気口が開けられている。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下は、後位側に4VK冷房発電セットが搭載されている。水タンクは原形の鋼製タンクのままである。4次車までが装備していた発電動機箱は、4位側デッキ床下に設置されている。


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