キハ28 20 → キハ28 2020



1961年12月7日新潟鐵工製の3次車で、昭和36年度本予算(残)で和歌山機関区に新製配置された。同一ロット18〜21のうち、18〜20が和歌山へ配置された。和歌山では急行「きのくに」をはじめ紀勢本線の急行列車で使用されたが、1963年に和歌山へ長大編成用の300番台が大量新製されると0番台車は他区へ転出し、当車は1963年10月16日付で高松へ転属した。高松では四国全域の急行で活躍した。1970年以降は山岳路線の冷房化のため高松へキハ65が投入され、非冷房のキハ28は他区へ回る転配が行われ当車もその対象となり、1970年7月3日付で千葉へ転属し房総地区の夏季海水浴輸送に使用されたのち、1970年9月5日付で長崎へ転属した。長崎では急行「いなさ」「弓張」等の長崎本線系統の急行で使用され、1972年2月7日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2020へ改番された。その後も長崎で長く活躍したが、国鉄末期の「57-11改正」で長崎本線系統の急行が全て特急格上げされると主に普通列車用となり、更に「59-2改正」で715系投入により長崎本線普通列車の電車化が行われると余剰となり、冷房電源付きキハ28ながら活用されず1985年10月31日付で廃車となった。

前面は、前面補強されてない。ワイパーはWP35のままで、正面窓下の手すりも原形のままである。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンカバーはスリット式である。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置に移設されている。放送用ジャンパ、四国時代の名残でステップ上部に更にステップ一体型の放送ジャンパ受けを追設している。
側面では、四国時代に台枠付近に運転室窓のバランサー点検蓋が追設されている。3位側側面に4VK冷房発電セットの吸気口が開けられている。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下は、後位側に4VK冷房発電セットが搭載されている。水タンクは原形の鋼製タンクのままである。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、1位側乗務員室床下へ設置されている。


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