キハ28 22 → キハ28 2022



1961年12月14日新潟鐵工製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で盛岡機関区に新製配置された。同一ロット22〜25のうち、当車のみ盛岡へ配置された。盛岡へは初のキハ58系配置となり、急行「陸中」など東北本線の急行で使用を開始した。しかし長大編成対応車の増備により初期車は捻出され、1964年度には各地を転々としまず年度初めに青森へ転出したのち、北海道夏季輸送に使用するため1964年5月17日付で苗穂へ転属した。そして夏季輸送終了後の10月9日付で大分へ転属した。しかし大分では長大編成対応車の増備により早々に転出することになり、1965年3月27日付で高松へ転属した。高松では四国全域の急行で使用された。1966年度には房総地区の夏季輸送に使用され、1966年6月22日付で千葉へ転属したのち、夏季輸送終了後の8月24日付で高松へ戻っている。四国での活躍はあまり長くなく、1969年よりキハ65が投入されると非冷房のキハ28は捻出され、1970年6月29日付で房総地区の海水浴輸送に使用するため一旦千葉へ転属の後、海水浴輸送終了後の9月14日付で名古屋へ転属した。名古屋ではキハ26に代わり急行「のりくら」「紀州」「きそ」等で活躍した。そして1971年10月8日付で冷房化及び4VK発電エンジン搭載改造が行われ2022へ改番された。1976年10月のダイヤ改正では美濃太田との間で車両交換があり、当車は1976年10月1日付で美濃太田へ転属した。美濃太田では引き続き急行「のりくら」「紀州」の他「大社」でも使用された。その後「57-11改正」で急行「大社」が廃止されると余剰となり、11月25日付で山形へ転出した。山形では「57-11改正」以降残った急行の冷房化を推進しており、急行「月山」「もがみ」で使用された。その後急行「もがみ」が減車された際に多くの仲間が余剰となり、当車も1986年3月31日付で廃車となった。

前面は、前面補強されていない。ワイパーはWP35のままで、正面窓下の手すりも原形のままである。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置に移設されている。放送用ジャンパ受栓は、四国若番車標準の、助手席側タイフォン右上に、足掛けと一体化した栓受を使用している。テールライトは左右とも外ばめ式に改造されている。タイフォンはスリット式のままである。当車は千葉配置時代の名残で千葉ヘッドマークステイを貫通扉に残している。
側面はほぼ原形であるが、3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点は無い。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、4位側デッキ床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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