キハ28 23



1961年12月14日新潟鐵工製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で田端機関区に新製配置された。同一ロット22〜25のうち、23〜25が田端へ配置された。田端では上野から盛岡へ向かう急行「三陸」で使用された。しかし1963年10月のダイヤ改正で田端への急行型気動車配置は廃止となり盛岡へ運用移管され、10月1日付で転属した。盛岡では急行「三陸」「陸中」「たざわ」等、東北本線北部の急行で使用されたが、長大編成対応の300番台が投入されると玉突きで転出することになり、まず千葉の夏季海水浴輸送で使用するため1964年7月15日付で千葉へ転出し、夏季輸送終了後の9月19日付で小郡へ転属した。小郡では山陽本線の準急「周防」や九州へ向かう急行「あきよし」等で使用されたが、「周防」の電車化により捻出され1965年10月23日付で福知山へ転属した。福知山では急行「丹後」「丹波」「だいせん」等、山陰本線・福知山線系統の急行で使用された。しかし1968年には福知山へモデルチェンジ車が投入されることから転属することになり、まず北海道の夏季輸送で使用するため1968年4月28日付で札幌へ転属し、夏季輸送終了後の9月17日付で尻内(八戸)へ転出した。尻内では急行「なつどまり」等、八戸線・大湊線の急行を中心に活躍した。「47-3改正」では運用移管で秋田へ転属し、急行「しらゆき」「おが」等で使用されたが、1973年度には需給の関係で弘前へ転出し、主に急行「深浦」等で活躍するようになった。その後「53-10改正」で中部地区から弘前へ後期型のキハ58が転入したことからキハ28若番車は捻出され、1978年10月22日付で新潟へ転属した。新潟ではキハ17やキハ26を置き換え主に普通列車で活躍した。しかしキハ47が増備されると捻出対象となり、1980年12月2日付で長野へ転属した。長野ではキハ25やキハ26を置き換え飯山線の普通列車で使用された。しかし国鉄末期に状態のよい冷房車が転入したことや、急行「野沢」廃止により運用数が減少したことから余剰となり、1986年12月19日付で廃車となった。

前面は、前面補強は施工されていない。ワイパーは原形のWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形のままである。タイフォンカバーは国鉄新潟地区特有の竹槍状のカバーであるが、当車は尖り方が上下逆という変形車である。テールライトは原形の内ばめ式のままである。放送用ジャンパ受栓は、ステップ一体型となっている。
側面はほぼ原形である。
屋根上は、原形である。
床下機器もほぼ原形である。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、2-4位側床下に設置されている。複線型スノープロウを取り付けている。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る