キハ28 34



1962年1月23日帝国車両製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット30〜34のうち、当車のみ千葉へ配置された。千葉では房総地区の急行列車で長く活躍をした。1970年には冷房化が行われたが4VK発電ユニットは搭載されず、番号はそのままであった。千葉では房総地区気動車急行末期まで活躍し、1974年10月には総武本線の全線電化が完成しこれを受け「50-3改正」で千葉地区の急行は全廃され、当車は1975年3月22日付で新潟へ転出した。新潟では4VKを搭載せず非冷房車と共通で急行で活躍するが、後には次第に普通列車用となっていった。しかしキハ47が増備されると捻出対象となり、1980年12月2日付で長野へ転属した。長野ではキハ25やキハ26を置き換え非冷房車扱いで飯山線の普通列車で使用された。しかし1982年にキハ40・48が新製投入されると捻出され、1982年9月4日付で七尾へ転属した。七尾ではキハ26を置き換え主に七尾線の普通列車で使用された。「59-2改正」では七尾へ東北より中期車の非冷房車が転入すると当車は玉突きで1984年1月28日付で敦賀へ転属した。敦賀では客車列車の気動車化により普通列車の運用が増加し、主に小浜線の普通列車や北陸本線・湖西線のデッドセクション区間の普通列車で使用された。しかし「60-3改正」以降デッドセクション区間の普通列車は次第に急行型電車へ置き換えられ余剰となり、1986年6月16日付で廃車となった。

イラストは1970年代後半の新潟時代のものである。晩年の姿をご存じの方はご教示願いたい。
前面は、前面補強は施工されていない。ワイパーは原形のWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形のままである。冷房電源用ジャンパ栓は初期改造車の低い位置のまま残されており、制御用ジャンパ受栓はタイフォン下部で寄り添う位置へ移設されている。放送用ジャンパ受栓は、タイフォンの下あたりに設置されている。タイフォンカバーは国鉄新潟地区特有の竹槍状のカバーである。テールライトは原形の内ばめ式のままである。デフロスタは新潟地区特有で、左右両側に取り付けられている。当車は千葉時代のヘッドマークステイを貫通扉に残している。
側面は、ほぼ原形である。冷房車ながら4VK発電セットを搭載しないので当然吸気口も設置されていない。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋がボルトで止められている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下機器は、ほぼ原形である。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、2-4位側中央部床下へ設置されている。単線型スノープロウを取り付けている。


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