キハ28 35 → キハ28 2035



1962年2月8日帝国車両製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で広島運転所に新製配置された。同一ロット35〜38のうち、35〜37が広島へ配置された。広島では急行「宮島」等、山陽本線の急行列車で使用開始した。山陽本線の全線電化後は九州へ乗り入れる急行「青島」で主に活躍したが非冷房のままで、1971年度に鳥取よりキハ58 61が転入すると玉突きで1972年3月9日付で七尾へ転出した。当時七尾はキハ55系の配置が多くキハ58系はごく少数であったが、同年度中の1972年10月27日付で冷房化及び発電エンジン搭載改造が行われ2035へ改番され、改造後金沢へ転出している。金沢では北陸本線の急行「ゆのくに」の他、急行「大社」の付属編成などで活躍しており、幹線急行が多かったため冷房車の割合が高かった。1975年3月10日には需給の関係で再び七尾へ転出した。当時七尾ではキハ28 2005と共に数少ない冷房車で、七尾線冷房化の先駆けとなる車両であった。以降七尾線の急行「能登路」で活躍したが、1978年及び1980年に七尾へ各地から冷房車が転入すると当車は非冷房車の残っていた敦賀へ転出することになり、1980年10月15日付で転属した。敦賀では小浜線の急行「丹後」「わかさ」「はしだて」の他小浜線の普通列車で活躍するようになった。そしてそのままJR西日本へ継承された。JR化後も引き続き小浜線で活躍し、普通列車専用車は近郊化及び塗装変更され小浜鉄道部所属となったが当車は急行色・ボックスシートのまま敦賀運転所配置で急行「わかさ」「丹後」で長く活躍した。1996年の急行「丹後」廃止後は急行「わかさ」のみの運用となった。しかし1999年10月の舞鶴線電化により特急「まいづる」が設定されると当列車は廃止となり、2000年3月31日付で廃車となった。

前面は、金沢時代に前面補強されているが、補強板の縁は平滑に仕上げられており分かりづらい。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置へ移設されている。放送用ジャンパは後期車のようにステップ一体型に改造されている。テールライトは左右ともに外ばめ式に改造されている。タイフォンはシャッター式に改造されている。正面窓上の水切り・通風口ともに撤去されている。
側面は、前面窓から延びる水切りが撤去されているが、乗務員室側窓上部にコの字形の水切りが追設されている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋が溶接で止められている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは新型のFRP製に交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、4位側デッキ床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。晩年の金沢地区の標準で、床下機器が台車を含め全てグレーで塗装されている。


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