キハ28 37 → キハ28 2037



1962年2月8日帝国車両製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で広島運転所に新製配置された。同一ロット35〜38のうち、35〜37が広島へ配置された。広島では急行「宮島」等、山陽本線の急行列車で使用開始した。山陽本線の全線電化後は九州へ乗り入れる急行「べっぷ」で主に活躍したが、1965年10月のダイヤ改正で鹿児島へ延長のうえ急行「青島」と改称され、また別府行きの付属編成が大分担当とされたことから同改正で大分へ転属した。以降九州内では運用移管・車輛増備・車両交換に伴う転配が多く、1966年度に竹下へ、1967年度で長崎へ、1968年度で大分へ、そして1970年度で竹下へ転属している。そして竹下で1970年10月13日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2037へ改番された。以降竹下では主に長崎本線系統の急行「いなさ(出島)、弓張」等で長く活躍した。しかし「55-10改正」では前年の日豊本線全線電化を踏まえ大幅なダイヤ改正が行われ、急行は大幅に特急格上げが行われ余剰となり、当車は1980年10月9日付で七尾へ転属した。七尾では七尾線の急行「能登路」で活躍した。七尾には各地から比較的車齢の高い初期車が集められたが、国鉄最後の「61-11改正」時に、廃止が決まっていた越美南線を運用していた美濃太田機関区との間で車両交換が行われ、美濃太田から後期車が七尾へ転出し、当車は1986年10月26日付で美濃太田へ転出した。その後予定通り1986年12月10日越美南線の廃止で余剰となり、JRに継承されること無く、1987年2月9日付で廃車となった。

前面は、前面補強されてない。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。テールライトは原形の内ばめ式である。タイフォンカバーは1980年代の九州からの転入車ながらシャッター式に改造されている。制御用ジャンパ受栓はタイフォン下部で寄り添う位置へ移設されている。放送用ジャンパ栓はステップ一体型である。
側面では、運転室窓のバランサー点検蓋が追設されており、塞ぎ板が溶接されている。0番台車ながら長大編成対応の5次車以降に準じ乗降扉下部隅に丸窓が開けられている。3位側側面に4VK冷房発電セットの吸気口が開けられている。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下は、後位側に4VK冷房発電セットが搭載されている。水タンクは原形の鋼製タンクのままである。4次車までが装備していた発電動機箱は、1位側助手席床下に設置されている。


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