キハ28 38



1962年2月8日帝国車両製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で和歌山機関区に新製配置された。同一ロット35〜38のうち、当車のみ和歌山へ配置された。和歌山では急行「きのくに」をはじめ紀勢本線の急行列車で使用されたが、1963年に和歌山へ長大編成用の300番台が大量新製されると0番台車は他区へ転出し、当車は1963年10月15日付で高松へ転属した。高松では四国全域の急行で活躍した。1970年以降は山岳路線の冷房化のため高松へキハ65が投入され、非冷房のキハ28は他区へ回る転配が行われ当車もその対象となり、1970年6月24日付で千葉へ転属した。千葉では房総各線の急行で使用され、1972年度には冷房化改造されたが、発電エンジンの搭載は行われなかったため改番はされていない。房総地区幹線全線電化完成後の「50-3改正」で千葉地区の急行型気動車配置が無くなり、1975年3月25日付で水戸へ転属した。水戸では1エンジン車であることから主に急行「ときわ」で活躍した。またクーラー配置の関係で常磐無線を装備しないため急行の先頭に立つことはなかった。以降国鉄末期まで急行「ときわ」で活躍したが、「60-3改正」で同急行がすべて特急に格上げされ廃止されると余剰となり、冷房エンジン未搭載であることから活用されることなく1985年10月15日付で廃車となった。

前面は、前面補強は施工されていない。ワイパーは原形のWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形のままである。制御用ジャンパ受栓はタイフォン下部で寄り添う位置へ移設されている。放送用ジャンパは、四国時代の名残でステップ上部に更にステップ一体型の放送ジャンパ受けを追設している。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンカバーはスリット状カバーのままである。デフロスタは水戸地区特有の、左右に取付金具が付いたタイプを取り付けている。当車は千葉時代のヘッドマークステイを貫通扉に残している。
側面は、ほぼ原形である。冷房車ながら4VK発電セットを搭載しないので当然吸気口も設置されていない。当車は運転室側面台枠付近に四国地区名残のバランサー点検蓋が残っている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。水戸配置であるが千葉時代の冷房化改造であり、クーラー間隔は常磐無線取付対応になっていない。
床下機器は、ほぼ原形である。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、2-4位側中央部床下へ設置されている。


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