キハ28 44 → キハ28 2044



1962年2月27日帝国車両製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で福知山機関区に新製配置された。同一ロット43〜46のうち、43〜45が福知山へ配置された。福知山では福知山を中心に京都・大阪方面の急行でキハ55系に混じって使用開始した。福知山では長く使用されたが、山陽新幹線開業の「72-3改正」で山陰本線系統の急行列車の再編が行われた際に捻出され、当車は1972年3月で和歌山へ転出し、紀勢本線方面の急行「きのくに」を中心に活躍するようになった。和歌山転出後間もない1972年6月14日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2044へ改番された。その後も急行「きのくに」を中心に活躍したが、「55-10改正」で381系増備により同急行が削減された際に余剰となり、1980年10月8日付で七尾へ転出した。七尾ではキハ55系や非冷房キハ58系に代わり急行「能登路」で活躍を開始した。七尾には各地から比較的車齢の高い初期車が集められたが、国鉄最後の「61-11改正」時に、廃止が決まっていた越美南線を運用していた美濃太田機関区との間で車両交換が行われ、美濃太田から後期車が七尾へ転出し、当車は1986年10月26日付で美濃太田へ転出した。その後予定通り1986年12月10日越美南線の廃止で余剰となり、JRに継承されること無く、1987年2月9日付で廃車となった。

前面は、和歌山時代に高砂工場で関西タイプの前面補強が施工されている。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。制御用KE53ジャンパ受栓は、タイフォンの下部に寄り添う位置に設置されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されている。タイフォンカバーは、シャッター式に改造されている。テールライトは内ばめ式のままである。
側面では、運転室窓のバランサー点検蓋が追設されており、塞ぎ板が溶接されている。0番台車ながら長大編成対応の5次車以降に準じ乗降扉下部隅に丸窓が開けられている。3位側側面に4VK冷房発電セットの吸気口が開けられている。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下は、後位側に4VK冷房発電セットが搭載されている。水タンクは原形の鋼製タンクのままである。4次車までが装備していた発電動機箱は、4位側デッキ床下に設置されている。


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