キハ28 46 → キハ28 2046



1962年2月27日帝国車両製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット43〜46のうち、当車のみ千葉へ配置された。千葉では房総地区の急行列車で長く活躍をした。1972年7月の外房線・内房線全線電化の際に捻出され、当車は1972年7月23日付で高松へ転属した。高松転出後は四国では晩年の1972年12月8日付で冷房化及び発電エンジン搭載改造が行われ、2046へ改番された。その後は主に平坦な徳島方面の急行で使用され、1973年以降手狭になってきた高松運転所の高徳本線運用が徳島気動車区へ移管され、当車も同年度中へ徳島へ転出した。以降は比較的平坦な徳島地区の急行列車で使用され、国鉄末期の急行削減、高松からの余剰キハ65転入後も生き残り、そのままJR四国へ継承された。JR化後は1989年3月8日付で四国色へ変更され、同年1989年3月改正で急行が大幅削減された後は普通列車で主に使用されるようになり、当車は1989年3月10日付で松山へ転出した。松山では主に予讃線の普通列車で活躍し、1990年10月12日付で近郊化改造された。しかし近郊化改造後の活躍は短く、1992年7月のダイヤ改正で予讃線の電化区間が延伸すると余剰となり、1992年9月30日付で廃車となった。

当車は1986年時点の姿しか発見できていないが、後に施されたJR四国色化や近郊化改造を行った前提でイラストを作成している。
前面は、多度津工場で四国タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは原形のWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形のままである。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、四国標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、タイフォン横に台座付きで設置されている。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。当車は勝浦配置時代の名残で千葉ヘッドマークステイを貫通扉に残している。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。便洗面所が撤去された際に、臭気抜き窓が撤去されている。便洗面所窓ガラスも透明のものに交換されている。運転席側窓バランサー点検蓋は、四国標準の、台枠に近い部分に横長の開口部が設けられている。乗降扉の点検蓋は、後期車と同じ横長のものに改造されており、四国の標準形態である。当車は国鉄末期まで徳島配置であり汚物処理装置を取り付けないまま近郊化改造されたため、当然便所部側面にも点検蓋は付いていない。
屋根上は、2次車ながら6-5次車以降に準じ、デッキに通風器が増設されたのが大変珍しい。
床下では、便所が撤去されているが、床下の水タンクはそのままである。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、4位側デッキ床下へ設置されている。
妻面は、四国近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。これは、デッキ撤去に伴い、車内外を仕切る扉が無くなったための代替措置であった。


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