キハ28 47 → キハ28 2047



1962年3月5日帝国車両製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット47〜50のうち、47・49・50が千葉へ配置された。千葉では房総地区の急行列車で活躍をした。1969年7月の内房線千倉電化で一部急行の電車化が行われた際に捻出され、1969年8月30日付で福知山へ転出した。福知山では急行「丹後」「丹波」等で活躍したが、山陽新幹線岡山開業の「ヨンナナサン」改正で山陰地区の急行再編が行われ、この際の転配で1972年上期に向日町へ転出した。その後は主に京都発着の紀伊半島方面の急行に使用され、急行「しらはま」「志摩」で活躍した。1975年4月11日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けで2047へ改番された。その後も同急行で国鉄末期まで活躍したが、関西本線電化の1982年6月改正で紀伊半島東部の急行の見直しがありこの際に捻出され、6月24日付で山形へ転出した。山形では「57-11改正」以降残った急行の冷房化を推進しており、急行「月山」「もがみ」で使用された。しかし急行「もがみ」「月山」も短編成化、縮小が続くが「60-3改正」から急行「陸中」が冷房化される際に当車が活用されることになり、1985年3月20日付で盛岡へ転出した。そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後は1987年10月に盛岡色へ変更され引き続き急行「陸中」を中心に活躍したが、1990年より急行「陸中」へキハ110系が投入されると真っ先に置き換えられる。その後は急行「よねしろ」用に秋田へ転属することになり、1991年4月14日付で移動した。転出後はしばらく盛岡色のまま活躍したが、1992年2月27日には更新工事が施工され、機関のコマツ製DMF11HZへ換装やアコモ改造、便所の撤去等の急行「よねしろ」用改造が行われた。その後は同急行で長く活躍した。しかし2002年12月1日のダイヤ改正で急行「よねしろ」は快速へ格下げされ、引き続き同快速でしばらく活躍したが、2008年3月15日のダイヤ改正では同快速も廃止され、2008年7月5日付で廃車となった。

当車は晩年は急行「よねしろ」で活躍したが、キハ28は基本的に中間に入っており、前面を拝むのは予備の2両で臨時列車等に充当される際くらいで、難しかった。
前面は、向日町時代に前面補強されているが、後年補強板の境界が平滑に仕上げられており、形状がよくわからない。ワイパーは原形のWP35のままであるが、前面窓下の手すりは左右とも若干下がっている。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部に寄り添う位置へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、秋田地区標準のテールライトの外側付近へ移設されているが、更新時に台座が撤去されている。テールライトは向日町時代に外ばめ式に改造されており盛岡転出後もそのままであったが、更新後は内ばめ式に戻されており、このようなケースは殆ど見られず詳細は謎である。タイフォンは更新前は回転蓋式であったが、更新時に一般的なシャッター式に改造されている。正面窓上の水切りは残置されているが、通風口は左右とも撤去されている。
側面は、全てのドアが交換されており、客用ドアは窓が金属押さえでかつ下部隅に丸窓もなく、タブレット保護柵用の凹みもない更新車用のものになっている。乗務員室ドアも、ドアノブが凹みの中に入った、モデルチェンジ車類似品になっており、またドア下部に掴み手が追加されている。ドアの靴摺り部は、他の更新車同様ステンレスに交換されている。戸袋部の客用ドア点検蓋は、他の更新車同様、キハ40系のようなタイプに変更されている。車体側面にあった機関冷却水口は、他の機関更新車同様埋められている。バランサー点検蓋は設置されていない。アコモ改造時に、行先方向幕が左から2つ目の窓上に追設され、当グループ唯一の特徴である。方向幕設置後も、側面のサボ差しは引き続き残置されている。当車は側面にあった4VK用吸気口が埋められ存在しない。
屋根上はアンテナ類が設置されている以外は、標準的な冷房車の形態である。
床下では、エンジンがコマツ製DMF11HZへ更新されている。油タンクは原形のままである。更新時に便所が撤去されているが、床下の水タンクはそのまま残置されている。タンク自体はFRP製の新型のものである。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、助手席下部へ設置されている。


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