キハ28 48 → キハ28 2048 → キハ28 5501



1962年3月5日帝国車両製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で沼津機関区に新製配置された。同一ロット47〜50のうち、当車のみ沼津へ配置された。沼津へのキハ58系配置は謎が多く、当時沼津では御殿場線の運用を受け持っており勾配路線であることから多くのキハ51が配置されていたが優等列車の運用はなく、何の目的で沼津に配置されたのかは不明である。翌1963年時点では美濃太田に配置されていることから単なる仮配置なのかもしれない。前述のとおり1963年の時点では美濃太田へ配置されており、高山本線の急行「のりくら」をはじめ、名古屋を起点とする急行で広く活躍した。1969年度には需給の関係で名古屋へ転属するが、引き続き名古屋を起点とする急行で活躍した。そして1972年12月度で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2048へ改番された。名古屋では長く活躍したが、「53-10改正」で中央本線の急行が大幅に廃止されこれに伴い中部地区のキハ58系に大きな動きが発生し、当車は1978年10月6日付で七尾へ転出した。七尾ではキハ55系や非冷房キハ58系に代わり急行「能登路」で活躍を開始した。そしてそのままJR西日本へ継承された。JR化後は急行「能登路」用となり、ボックスシートのまま1988年度中に「七尾急行色」へ塗装変更された。1991年9月1日のダイヤ改正では七尾線の和倉温泉までの電化及び以遠の第三セクター化が行われ七尾の気動車配置は廃止され、当車は播但線・姫新線の客車置き換えに転用されることとなり、1991年12月10日付でロングシート化改造を受け、5501へ改番されて姫路へ配置された。姫路では当初「七尾急行色」のまま活躍しまだら塗装で話題となったが、1993年10月14日付で新たに制定された「姫路色」へ変更された。その後も播但線・姫新線で活躍したが、需要の拡大とキハ58系の老朽化により播但線の電化が行われることになり、1998年3月ダイヤ改正で電化されキハ58系5500番台は余剰となり、1999年4月19日付で廃車となった。

前面は、金沢時代に前面補強されている。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で寄り添う位置へ移設されている。放送用ジャンパは、ステップ下部に台座付きで設置されている。テールライトは運転席側のみ外ばめ式に改造されており、金沢地区のみで見られた形態である。タイフォンは原形のスリット式カバーである。正面窓上の水切りは撤去されているが、通風口は残存している。
側面は、前面窓から延びる水切りが撤去されている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋が溶接で止められている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは新型のFRP製に交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、2位側助手席床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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