キハ28 49 → キハ28 2049 → キロ29 552



1962年3月5日帝国車両製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット47〜50のうち、47・49・50が千葉へ配置された。千葉では房総地区の急行列車で活躍をした。1969年7月の内房線千倉電化で一部急行の電車化が行われた際に捻出され、1969年8月29日付で金沢へ転出した。金沢では北陸本線の急行「ゆのくに」「越後」の増結車の他、急行「大社」の金沢編成等で活躍した。1972年3月改正では需給の関係で名古屋へ移動し、名古屋を起点とする急行「のりくら」や「紀州」等で活躍した。そして1972年7月24日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2049へ改番された。同年度末には需給の関係で美濃太田へ転出するが、引き続き急行「のりくら」を中心に名古屋を起点とする急行で活躍した。「53-10改正」で中央本線の急行が大幅に廃止されこれに伴い中部地区のキハ58系に大きな動きが発生し、当車は1978年10月6日付で七尾へ転出した。七尾ではキハ55系や非冷房キハ58系に代わり急行「能登路」で活躍を開始した。1980年には国鉄改革の一環として各地でアコモ改造車が登場するが、そのはしりとして急行「能登路」にロマンスカーを投入することになり、検査の順番等の関係で当車がその種車に選ばれた。車内が0系新幹線発生品の転換クロスシートに交換され、プロジェクターを使用してビデオ放映できるように改造された。改造後も引き続き急行「能登路」で活躍しそのままJR西日本へ継承された。JR化後も引き続き急行「能登路」で活躍したが、1987年12月にキハ65改造のジョイフルトレイン「ゴールデンエクスプレス アストル」が登場する際、その中間車として当車が選ばれ、1987年12月23日付でキロ29 552へ改造された。改造では前位側がサロンルームとされ、後位側はリクライニングシートの一般客室とされた。後位側の一般客室は床がかさ上げされ、一部床下にスキーを外部から収納できるよう工夫されている。また前後とも乗降扉が撤去され、乗降扉の無い営業車両として数少ない例であった。改造後は「アストル」の中間車として団体・臨時列車に使用された。1997年に「アストル」の車両更新及びリニューアルが行われることになったが、キハ65に比べ車齢の高く老朽化の進んでいた当車は編成から外されることになり、キハ65と同じ車体断面のキロ28 2511を改造した後継車キロ29 554に置き換えられ、1998年6月1日付で廃車となった。

前面は、金沢時代に前面補強されている。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。制御用ジャンパ受栓は、「アストル」改造時に撤去されている。放送用ジャンパは、当地区では珍しくステップ上部に台座付きで設置されている。テールライトは左右両側とも外ばめ式に改造されている。タイフォンカバーはスリット式であるが、助手席側に金沢地区特有の傘タイプのカバーが付いている。正面窓上の水切り・通風口とも残存している。
側面は大幅に改造され、前後位とも乗降扉が撤去されている。また中間寄りの客室窓も埋められている。戸袋窓は客室窓と同じ構造の狭幅窓に変更されている。またすべての客室窓が固定窓に改造されている。後位寄り一部客室窓の下部には、スキーを収納するラックの扉が設けられている。また4VK発電セットの吸気口はこのラックの間へ移設されている。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋が溶接で止められている。
屋根上は、全ての通風器が撤去されているが、クーラーは7基とも残っている。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは原形の鋼製タンクのままである。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、2位側助手席床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。後位側デッキ床下に汚物処理装置が設置されている。


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