キハ28 62



1961年1月30日東急車両製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で秋田機関区に新製配置された。同一ロット59〜62全車が秋田へ配置された。秋田では急行「しらゆき」「おが」等の奥羽本線・羽越本線の幹線急行で活躍を開始した。1963年には新潟との間で運用移管があり、当ロット全車共に新潟へ転属することになり、当車は4月15日付で新潟へ移動した。新潟では急行「羽越」「うおの」「よねやま」等の比較的平坦路線の急行で主に活躍したが、1963年9月に新潟にも長大編成用後期車が新製配置されると玉突きで捻出されることとなり、1963年9月22日付で千葉へ転属した。千葉では房総地区全域の急行で使用され、1972年度までに4VKを搭載しない冷房化のみが行われている。房総地区幹線全線電化完成後の「50-3改正」で千葉地区の急行型気動車配置が無くなり、1975年3月16日付で敦賀へ転属した。敦賀ではそれまでのキハ55系に代わり急行「わかさ」等で使用されるようになったが、同時に転入したキハ58は非冷房車であり、当車も冷房電源を搭載しないことから非冷房車扱いで使用された。その後「55-10改正」では各地から冷房キハ58系が七尾へ転入した玉突きで冷房電源付きキハ28が敦賀へ転入し、当車は更に玉突きで1980年10月18日付で竹下へ転属した。竹下では老朽したキハ20やキハ26に代わり博多近郊の普通列車で使用されるようになった。また冷房を使用しない時期においては快速や急行の増結に使用されることもあった。しかしながら冷房電源を装備しないキハ28は九州では異端であり運用上の制約が多いことから地方交通線の廃止により車両需給に余裕がでると真っ先に余剰対象となり、1984年8月23日付で廃車となった。

前面は、前面補強されていない。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右寄り添う位置に移設されている。放送用ジャンパ受栓は、タイフォン横ステップ下部に設置されている。テールライトは左右とも原形の内ばめ式のままである。タイフォンカバーは、原形のスリット状カバーである。当車は千葉時代のヘッドマークステイを貫通扉に残している。
側面は、ほぼ原形である。冷房車ながら4VK発電セットを搭載しないので当然吸気口も設置されていない。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下機器は、ほぼ原形である。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、2-4位側中央部床下へ設置されている。


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