キハ28 64



1962年2月16日東急車両製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で秋田機関区に新製配置された。同一ロット63〜66のうち、63〜65までが秋田へ配置され、66は和歌山へ配置されている。秋田では急行「しらゆき」「おが」等で使用開始するが、1963年10月改正では車輛増備及び受け持ち区の変更により盛岡へ転属する。盛岡では急行「陸中」「さんりく」等で活躍したが、1964年10月のダイヤ改正で同急行を担当する水戸との間で需給調整があり、1964年10月9日付で水戸へ転属した。以降水戸配置で常磐線経由の東北方面急行で使用され、常磐線の電化後は残った急行「ときわ」等で長く活躍した。しかし同車は冷房化されず非冷房のままであり、「55-10改正」で四国や和歌山地区から短編成化等で捻出された冷房車が水戸へ転入すると当車は余剰となり、玉突きで1980年10月17日付で豊岡へ転属した。当時豊岡では既に非冷房車は少数派で、キハ20系や55系に代わり普通列車で使用されたが、特に冬季は区別されず急行に使用される姿もあった。「60-3改正」で紀勢西線の急行「きのくに」が全て特急格上げされた際に状態の良い後期冷房車が和歌山から大量に豊岡へ転入したが当車は整理対象とならず引き続き普通列車で活躍した。しかし、「61-11改正」で福知山線電化により福知山周辺の急行が整理された際に余剰となり、1987年2月6日付で廃車となった。

前面は、前面補強されていない。ワイパーはWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形である。放送用ジャンパはステップ下部に設置されている。テールライトは左右ともに原形の内ばめ式のままである。タイフォンはシャッター式に改造されている。デフロスタは水戸地区特有の、左右に取付金具が付いたタイプを取り付けている。
側面は、ほぼ原形である。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋がボルトで止められている。
屋根上は、水戸時代の名残で常磐無線アンテナの台座が残っている。
床下機器は、ほぼ原形である。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、2-4位側中央部床下へ設置されている。


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