キハ28 67 → キハ28 2067



1962年2月22日東急車両製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で和歌山機関区に新製配置された。同一ロット67〜69のうち、当車のみ和歌山へ配置された。和歌山では紀勢本線の急行「きのくに」を中心に活躍を開始したが、1963年に長大編成用300番台が大量に増備されると初期車は捻出され、1963年9月20日付で千葉へ転出した。千葉では房総半島各線の急行で使用されたが、1969年7月の内房線千倉電化で捻出され、1969年8月30日付で福知山へ転属した。福知山では急行「丹波」「丹後」をはじめ、舞鶴線・小浜線・宮津線の急行でも使用された。1972年には一部運用が金沢へ移管され、1972年10月2日付で金沢へ転出した。金沢では北陸本線の急行「ゆのくに」の他、急行「大社」の付属編成などで活躍しており、幹線急行が多かったため冷房車の割合が高かったが当車は非冷房のまま活躍し、そのためか1975年3月度には需給の関係で七尾へ転出した。以降七尾線の急行「能登路」で活躍したが、キハ58系冷房化末期の1979年4月1日付で冷房化及び4VK冷房発電ユニット取り付けを行い2067へ改番された。その後1980年に七尾へ各地から冷房車が転入すると当車は非冷房車の残っていた敦賀へ転出することになり、1980年10月15日付で転属した。敦賀では小浜線の急行「丹後」「わかさ」「はしだて」の他小浜線の普通列車で活躍するようになった。そしてそのままJR西日本へ継承された。JR化後も引き続き小浜線で活躍し、普通列車専用車は近郊化及び塗装変更され小浜鉄道部所属となったが当車は急行色・ボックスシートのまま敦賀運転所配置で急行「わかさ」「丹後」で長く活躍した。1996年の急行「丹後」廃止後は急行「わかさ」のみの運用となった。しかし1999年10月の舞鶴線電化により特急「まいづる」が設定されると当列車は廃止となり、2000年3月31日付で廃車となった。

前面は、金沢時代に前面補強されているが、補強板の縁は平滑に仕上げられており分かりづらい。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で寄り添う位置へ移設されている。放送用ジャンパは関西地区に多く見られる、タイフォンとテールライトの間へ移設されている。テールライトは左右ともに原形の内ばめ式のままである。タイフォンは原形のスリット式カバーである。正面窓上の水切り・通風口ともに撤去されている。
側面は、前面窓から延びる水切りが撤去されているが、乗務員室側窓上部にコの字形の水切りが追設されている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋が溶接で止められている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは新型のFRP製に交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、4位側デッキ床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。晩年の金沢地区の標準で、床下機器が台車を含め全てグレーで塗装されている。


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