キハ28 68 → キハ28 2068 → キハ28 5502



1962年2月22日東急車両製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で岡山気動車区に新製配置された。同一ロット67〜69のうち、68・69が岡山へ配置された。岡山では山陽本線の他津山線・伯備線の横断路線の準急・急行で使用開始した。後に山陽本線は電化により急行が無くなり、主に伯備線や津山線・因美線・姫新線の急行で活躍した。1968年には松本からキハ58が転入した関係で捻出され、北海道夏季輸送で1968年5月31日付で札幌へ転出したのち、夏季輸送終了後の9月9日付で盛岡へ転出した。盛岡では「陸中」をはじめ東北北部の幹線急行で活躍したが、1971年10月15日付で需給の関係で美濃太田へ転属した。美濃太田では高山本線の急行「のりくら」をはじめ、名古屋を起点とする急行で広く活躍した。1972年度には需給の関係で名古屋へ転属するが、引き続き名古屋を起点とする急行で活躍した。1976年10月のダイヤ改正では特急「ひだ」の増発による高山本線の急行見直しがあり、1976年10月26日付で七尾へ転出した。以降七尾線の急行「能登路」で活躍したが、冷房車が大量に転入した「53-10改正」以降七尾でも冷房化が進み、キハ58系冷房化末期の1978年12月23日付で冷房化及び4VK冷房発電ユニット取り付けを行い2068へ改番された。その後も急行「能登路」の他七尾線の普通列車で活躍し、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は急行「能登路」用となり、ボックスシートのまま1988年度中に「七尾急行色」へ塗装変更された。1991年9月1日のダイヤ改正では七尾線の和倉温泉までの電化及び以遠の第三セクター化が行われ七尾の気動車配置は廃止され、当車は播但線・姫新線の客車置き換えに転用されることとなり、1992年1月10日付でロングシート化改造を受け、5502へ改番されて姫路へ配置された。姫路では当初「七尾急行色」のまま活躍しまだら塗装で話題となったが、1993年5月18日付で新たに制定された「姫路色」へ変更された。その後も播但線・姫新線で活躍したが、需要の拡大とキハ58系の老朽化により播但線の電化が行われることになり、1998年3月ダイヤ改正で電化されキハ58系5500番台は余剰となり、1999年4月19日付で廃車となった。

前面は、金沢時代に前面補強されている。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で寄り添う位置へ移設されている。放送用ジャンパは、ステップ下部に台座付きで設置されている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンは盛岡時代にシャッター式に改造されている。正面窓上の水切りは撤去されているが、通風口は残存している。
側面は、前面窓から延びる水切りが撤去されている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋が溶接で止められている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態であるが、クーラーはメッシュタイプのルーバーのものが取り付けられている。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは新型のFRP製に交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、4位側デッキ床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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