キハ28 70 → キハ28 2070



1962年3月16日東急車両製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で名古屋第一機関区に新製配置された。同一ロット70〜73のうち、当車のみ名古屋へ配置された。名古屋では急行「のりくら」「きそ」「紀州」を中心に、名古屋を起点とする急行で使用された。初期車にも関わらず移動もなく長く名古屋で使用され、1972年2月24日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2070へ改番された。長く名古屋で活躍した同車であるが、「53-10改正」で中央本線の急行が大幅に廃止されこれに伴い中部地区のキハ58系に大きな動きが発生し、当車は1978年9月28日付で七尾へ転出した。七尾ではキハ55系や非冷房キハ58系に代わり急行「能登路」で活躍を開始した。そしてそのままJR西日本へ継承された。JR化後は1988年の能登線廃止により七尾のキハ58系には余剰が出ており、当車は山陰本線京都口の客車列車を気動車化する際に活用されることになり、1988年9月10日付で福知山へ転出した。この当時七尾にいた車両のうち、若番車や非冷房車が主に転出した。しかし1990年3月には山陰本線の園部までの電化が完成し、同区間用のキハ58系は早くも余剰となり大半が客車列車の置き換えで米子へ転出するかそのまま廃車となったが、当車は山陰本線の園部〜福知山線の普通列車運用がワンマンキハ58系化されるのに伴いキハ28 3000番台5両が普通列車専用とされ急行用のキハ28が不足したため、福知山に残留し急行「丹後」用となった。国鉄末期には福知山では当時大量に配置されていた0番台車を他区からの転入車や運用減により大量に廃車にしていたが、結局再び若番車が転入・残留するというのは皮肉な転配であった。以降急行「丹後」の廃止まで長く活躍し、1996年3月のダイヤ改正で山陰本線福知山までの電化が完成すると急行「丹後」は全廃され、1997年6月24日付で廃車となった。廃車後はタイへ譲渡された。

前面は、金沢時代に前面補強されているが、補強板の縁は平滑に仕上げられており分かりづらい。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置へ移設されている。放送用ジャンパはステップ下部に台座付きで設置されている。テールライトは左右ともに外ばめ式に改造されている。タイフォンは原形のスリット式カバーである。正面窓上の水切り・通風口ともに撤去されている。
側面は、前面窓から延びる水切りが撤去されている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋が溶接で止められている。当車は5次車以降に準じ、乗降扉下部隅に丸窓が設置改造されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは新型のFRP製に交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、4位側デッキ床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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