キハ28 76 → キハ28 2076



1962年3月24日日本車輌製の3次車で、昭和36年度利用債で宮原機関区に新製配置された。同一ロット76〜78のうち、76・77が宮原へ配置された。宮原では新設された急行「越前(後の急行きたぐに→越後)」で使用された。1963年には宮原への増備車投入により、当車は4月18日付で多治見へ転属した。多治見では急行「のりくら」「きそ」で使用された。1968年には美濃太田機関区の気動車検修設備拡張により多治見区のキハ58系配置は同区へ移管され、当車も美濃太田へ転属した。その後1969年度には需給の関係で名古屋へ転属し、引き続き急行「のりくら」「きそ」の他急行「紀州」など名古屋を起点とする急行で活躍した。その後1976年8月17日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2076へ改番されたが、1976年10月のダイヤ改正で車両交換が行われ当車は1976年10月1日付で美濃太田へ転属した。美濃太田では引き続き急行「のりくら」「紀州」「大社」等で活躍をしたが、「57-11改正」で急行「大社」が廃止されると余剰となり、11月25日付で山形へ転出した。山形では「57-11改正」以降残った急行の冷房化を推進しており、急行「月山」「もがみ」で使用された。その後急行「もがみ」が廃止された際に多くの仲間が余剰となり、当車も1986年3月31日付で廃車となった。

イラストは美濃太田時代末期の姿である。
前面は、前面補強されていない。ワイパーはWP35のままで、正面窓下の手すりも原形のままである。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置に移設されている。放送用ジャンパはタイフォン横のステップ下部に台座付きで設置されている。テールライトは左右とも外ばめ式に改造されている。タイフォンはスリット式のままである。
側面はほぼ原形であるが、3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点は無い。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、4位側デッキ床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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