キハ28 77 → キハ28 2077



1962年3月24日日本車輌製の3次車で、昭和36年度利用債で宮原機関区に新製配置された。同一ロット76〜78のうち、76・77が宮原へ配置された。宮原では新設された急行「越前(後の急行きたぐに→越後)」で使用された。1963年には宮原へ増備車として長大編成用300番台が投入され、当車は11月15日付で盛岡へ転属した。盛岡では急行「三陸」「陸中」等で活躍したが1965年度の増備車の投入により捻出され、まず1965年6月9日付で新潟へ転属したのち、千葉地区の夏季海水浴輸送で使用するため7月15日付で千葉へ転属し、夏季輸送終了後の9月27日付で高松へ転属した。高松では四国全域の急行で使用されたが、同区へのキハ65投入が始まると1エンジンのキハ28は真っ先に捻出され、房総地区で急行で使用していたキハ26を置き換えるため1970年6月24日付で千葉へ転出した。千葉では房総各線の急行列車で使用され、1971年度には発電ユニットを搭載しない冷房化改造が施工された。1974年10月には総武本線の全線電化が完成しこれを受け「50-3改正」で千葉地区の急行は全廃され、当車は1975年3月19日付で豊岡へ転出した。豊岡では急行「丹波」「丹後」「但馬」等で非冷房車扱いで使用されたが、1976年10月26日付で4VK冷房発電ユニットを搭載し、2077へ改番された。以降冷房車として同急行で活躍した。しかし「60-3改正」で和歌山から状態の良いキハ58系が大量に転入すると余剰となり、保留車として在籍したのち1986年10月3日付で廃車となった。

イラストは各種改造が盛んに行われる前の1979年のものである。晩年の姿をご存じの方がいたらご教示願いたい。
前面は、前面補強されていない。ワイパーはWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形である。制御ジャンパ受栓は、タイフォン下部で寄り添う位置へ移設されている。放送用ジャンパ受栓は、四国若番車標準の、助手席側タイフォン右上に、足掛けと一体化した栓受を使用している。テールライトは左右ともに原形の内ばめ式のままである。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。当車は千葉時代のヘッドマークステイを貫通扉に残している。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点は無い。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは原形の鋼製タンクのままである。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、1位側乗務員室床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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