キハ28 79 → キハ28 2079



1962年6月21日帝国車両製の3次車で、昭和36年度利用債で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット79〜81全車が千葉へ配置された。千葉では房総半島各線の急行列車で活躍したが、1969年7月の内房線千倉電化で捻出され、1969年9月1日付で竹下へ転属した。竹下では主に長崎本線系統の急行の基本編成を中心に、各地へ向かう急行の付属編成等で広く活躍を開始され、1970年3月17日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを実施し2079へ改番された。同年度中に需給の関係で長崎へ転属し、引き続き長崎本線系統の「いなさ」「弓張」を中心に長き使用された。国鉄末期の「57-11改正」で長崎本線の急行が全廃された後は旧型客車やキハ55系に代わり普通列車で使用されるようになった。また「59-2改正」で715系電車投入により気動車普通列車も電車化が進められた後は大村線や松浦線を主な活躍の場とした。そしてそのままJR九州へ継承された。長崎ではボックスシートのまま普通列車用とされ1988年11月21日付で九州色へ変更され、新設された快速「シーサイドライナー」を中心に活躍した。1992年7月15日のダイヤ改正では急行「由布」「火の山」が特急格上げされ、これに使用されていたアコモ改造車が長崎の快速「シーサイドライナー」用として大量に転入したことから、当車は玉突きで大分へ転出した。大分では原形シートのままで活躍し、豊肥本線・久大本線の非ワンマン列車で使用された。久大本線のワンマン運転開始後も引き続き使用され、1997年には香椎線へのキハ200投入に伴う車両転配で相棒のキハ58は若番の原形シート車から後期車の近郊化改造車へ後退したが、キハ28はもともと絶対数が少なかったことから代替車が無く、そのまま継続して使用された。しかし最期は2001年10月に筑豊本線・篠栗線が電化された際に大幅な車両転配が行われた際に余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは原形のWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形のままである。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等は、九州標準の形態である。放送用ジャンパ受栓は、小倉工場で多く見られる、タイフォン上部へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の雨どい・通風口は原形のまま残っている。竹下・大分時代特有の「タウンシャトル」の逆台形状のヘッドマーク受けが取り付けられている。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。運転席側窓バランサー点検蓋が追設されている。
屋根上は、全ての通風器が撤去されており、晩年の九州の特徴である。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項である。機関は原形のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。2000番台であり4VK発電セットを取り付けている。当車は床下水タンクが原形の鋼製のままである。


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