キハ28 82



1962年4月16日帝国車両製の3次車で、昭和36年度第2次債務で郡山機関区に新製配置された。同一ロット82・83両車とも郡山へ配置された。郡山では急行「いいで」「ざおう」等で活躍したが、運用移管により1963年9月23日付で新潟へ転属した。新潟では急行「いいで」の他、「あさひ」「よねやま」「羽越」等で活躍した。翌1964年には新潟へ長大編成対応の300番台が新製投入されたこともあり1964年9月30日付で水戸へ転属した。水戸では同じく急行「いいで」の他、「いわき」「ときわ」「奥久慈」等で使用された。水戸配置は長く、兄弟の82は後に4VKを搭載しない冷房化が行われたが、当車は非冷房のまま過ごした。「55-10改正」で四国や和歌山地区から短編成化等で捻出された冷房車が水戸へ転入すると当車は余剰となり、玉突きで1980年10月17日付で長野へ転属した。長野ではキハ25やキハ26を置き換え飯山線の普通列車で使用された。しかし国鉄末期に状態のよい冷房車が転入したことや、急行「野沢」廃止により運用数が減少したことから余剰となり、1986年12月19日付で廃車となった。

前面は、前面補強は施工されていない。ワイパーは原形のWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形のままである。タイフォンはシャッター式に改造されている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。放送用ジャンパ受栓は、ステップ一体型となっている。
側面はほぼ原形である。
屋根上は、原形であるが、常磐無線アンテナの台座が残っている。
床下機器もほぼ原形である。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、2-4位側床下に設置されている。


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