キハ28 83



1962年4月16日帝国車両製の3次車で、昭和36年度第2次債務で郡山機関区に新製配置された。同一ロット82・83両車とも郡山へ配置された。郡山では急行「いいで」「ざおう」等で活躍したが、運用移管により1963年9月30日付で新潟へ転属した。新潟では急行「いいで」の他、「あさひ」「よねやま」「羽越」等で活躍した。翌1964年には新潟へ長大編成対応の300番台が新製投入されたこともあり1964年9月30日付で水戸へ転属した。水戸では同じく急行「いいで」の他、「いわき」「ときわ」「奥久慈」等で使用された。水戸配置は長く、1970年頃には冷房化改造されたが4VK発電セットは搭載されず、主に平坦線区の急行「ときわ」専属車両となった。以降国鉄末期まで急行「ときわ」で活躍したが、「60-3改正」で同急行がすべて特急に格上げされ廃止されると次第に水郡線の普通列車や臨時列車・波動用で使用されるようになった。国鉄最後の「61-11改正」では臨時急行の減少等から水戸のキハ28が老朽キハ25の置き換えに回ることとなり、当車は4VKを搭載しない0番台車ながら1986年11月に真岡へ転属し、そのままJR東日本へ継承された。キハ28 0番台の4VKを搭載しない冷房車のJR継承は当車のみであった。JR化後は真岡配置で真岡線の他朝夕は水戸線にも乗り入れた。しかし1988年4月1日には真岡線は第三セクターに移管されることとなり、これに先立つ1988年3月改正では水戸線直通運用がなくなり、その関係で1988年3月13日付で水戸へ戻った。しかし戻った水戸では保留車となり活躍は少なく、1989年11月27日付で廃車となった。

前面は、前面補強されていない。ワイパーはWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形である。冷房電源用ジャンパ栓は初期改造車の低い位置のまま残されており、制御用ジャンパ受栓はタイフォン下部で寄り添う位置へ移設されている。放送用ジャンパは、後期車に準じたステップ一体型に改造されている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンはシャッター式に改造されている。正面窓上の水切り・通風口は原形のままの残存している。デフロスタは水戸地区特有の、左右に取付金具が付いたタイプを取り付けている。
側面は、ほぼ原形である。冷房車ながら4VK発電セットを搭載しないので当然吸気口も設置されていない。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋がビスで止められている。
屋根上は、水戸時代の冷房化改造でありクーラーの間隔が常磐無線対応になっている
床下機器は、ほぼ原形である。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、2-4位側中央部床下へ設置されている。


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