キハ28 87 → キハ28 2087



1962年5月9日帝国車両製の3次車で、昭和36年度第2次債務で名古屋第一機関区に新製配置された。同一ロット86〜89のうち、87・88が名古屋へ配置された。名古屋では急行「のりくら」「紀州」「大社」「きそ」をはじめ、名古屋を起点とする急行で広範囲に使用された。当車は0番台車では珍しく転属が少なく、名古屋で非冷房のまま長く活躍した。「53-10改正」で中央本線の急行が大幅に廃止されこれに伴い中部地区のキハ58系に大きな動きが発生し、当車は1978年9月28日付で七尾へ転出した。七尾ではキハ55系に代わり急行「能登路」で活躍を開始し、キハ58系冷房化末期の1979年8月9日付で冷房化及び4VK冷房発電ユニット取り付けを行い2087へ改番された。1980年には七尾へ各地から冷房車が転入すると当車は非冷房車の残っていた敦賀へ転出することになり、1980年10月21日付で転属した。敦賀では小浜線の急行「丹後」「わかさ」「はしだて」の他小浜線の普通列車で活躍するようになった。そしてそのままJR西日本へ継承された。JR化後も引き続き小浜線で活躍し、普通列車専用車は近郊化及び塗装変更され小浜鉄道部所属となったが当車は急行色・ボックスシートのまま敦賀運転所配置で急行「わかさ」「丹後」で長く活躍した。1996年の急行「丹後」廃止後は急行「わかさ」のみの運用となった。しかし1999年10月の舞鶴線電化により特急「まいづる」が設定されると当列車は廃止となり、2000年3月31日付で廃車となった。

前面は、金沢時代に前面補強されており、急行色の赤色の境界線付近に補強板の縁がある。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で寄り添う位置へ移設されている。放送用ジャンパは、ステップ下部に設置されている。テールライトは左右ともに原形の内ばめ式のままである。タイフォンは原形のスリット式カバーである。正面窓上の水切りは撤去されているが、通風口は残存している。
側面は、前面窓から延びる水切りが撤去されているが、乗務員室側窓上部にコの字形の水切りが追設されている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋が溶接で止められている。当車は名古屋時代に乗降扉下部隅に5次車以降と同様の丸窓が設けられており、晩年まで残置されている。
屋根上は、敦賀では珍しくクーラー脇の通風器がハーフガーランドベンチレーターへ交換されている。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは新型のFRP製に交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、4位側デッキ床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。晩年の金沢地区の標準で、床下機器が台車を含め全てグレーで塗装されている。


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