キハ28 88 → キハ28 2088 → キハ28 5504



1962年5月9日帝国車両製の3次車で、昭和36年度第2次債務で名古屋第一機関区に新製配置された。同一ロット86〜89のうち、87・88が名古屋へ配置された。名古屋では急行「のりくら」「紀州」「大社」「きそ」をはじめ、名古屋を起点とする急行で広範囲に使用された。当車は0番代車では珍しく転属が少なく名古屋で長く活躍し、1972年4月19日付で冷房化及び4VK冷房発電ユニット取り付けを行い2088へ改番された。「53-10改正」で中央本線の急行が大幅に廃止されこれに伴い中部地区のキハ58系に大きな動きが発生し、当車は1978年9月28日付で七尾へ転出した。七尾ではキハ55系や非冷房キハ58系に代わり急行「能登路」で活躍を開始した。1980年には七尾へ各地から冷房車が転入すると当車は非冷房車の残っていた敦賀へ転出することになり、1980年10月21日付で転属した。敦賀では小浜線の急行「丹後」「わかさ」「はしだて」の他小浜線の普通列車で活躍するようになった。そしてそのままJR西日本へ継承された。JR化後は似た人生を辿った2087と異なり普通列車用となり、1987年度に近郊化改造され1988年12月20日付で青色ベースの「小浜色」へ変更され小浜線・舞鶴線の普通列車で活躍した。1991年4月1日で小浜鉄道部が発足し、普通列車用の当車は同部の所属となったが、1991年9月1日のダイヤ改正で七尾線の和倉温泉までの電化及び以遠の第三セクター化が行われ、金沢地区のキハ58系で車両の入れ替えが発生し当車は余剰となり、播但線・姫新線の客車置き換えに転用されることとなり、1992年2月8日付でロングシート化改造を受け、5504へ改番されて姫路へ配置された。姫路では当初「小浜色」のまま活躍しまだら塗装で話題となったが、1994年3月29日付で新たに制定された「姫路色」へ変更された。その後も播但線・姫新線で活躍したが、需要の拡大とキハ58系の老朽化により播但線の電化が行われることになり、1998年3月ダイヤ改正で電化されキハ58系5500番台は余剰となり、1999年4月19日付で廃車となった。

前面は、金沢時代に前面補強されている。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で寄り添う位置へ移設されている。放送用ジャンパは、ステップ下部に台座付きで設置されている。テールライトは左右両側とも原形の内ばめ式のままである。タイフォンは原形のスリット式カバーである。正面窓上の水切りは撤去されているが、通風口は残存している。
側面は、前面窓から延びる水切りが撤去されている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋が溶接で止められている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態であるが、クーラーはメッシュタイプのルーバーのものが取り付けられている。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは新型のFRP製に交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、4位側デッキ床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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