キハ28 90 → キハ28 2090



1962年5月18日帝国車両製の3次車で、昭和36年度第2次債務で盛岡機関区に新製配置された。同一ロット90〜93のうち、当車のみが盛岡へ配置された。盛岡では急行「三陸」をはじめ、東北本線の急行列車で使用開始した。盛岡では比較的長く活躍したが、1971年9月26日付で美濃太田との間でキハ58とキハ28の交換があり、当車は美濃太田へ転属した。美濃太田では高山本線の急行「のりくら」をはじめ、名古屋を起点とする急行で広く活躍した。1972年度には名古屋局内で冷房車を美濃太田へ集める施策から非冷房の当車は名古屋へ転属するが、引き続き名古屋を起点とする急行で活躍した。その後も非冷房のまま活躍したが1976年以降は名古屋地区の非冷房車は転出もしくは冷房化改造されることとなり、当車は1977年12月28日付で冷房化及び発電エンジン搭載改造が行われ、2090へ改番された。名古屋での冷房化後の活躍は短く、「53-10改正」で中央本線の急行が大幅に廃止されこれに伴い中部地区のキハ58系に大きな動きが発生し、当車は1978年10月5日付で七尾へ転出した。七尾ではキハ55系や非冷房キハ58系に代わり急行「能登路」で活躍を開始した。七尾には各地から比較的車齢の高い初期車が集められたが、1986年以降各地から状態の良いキハ28が転入すると余剰となり、JRへ継承されず1987年1月14日付で廃車となった。

前面は、七尾時代に松任工場で前面補強が施工されているが補強板の境界線が目立たないタイプである。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。制御用KE53ジャンパ受栓は、タイフォンの下部に寄り添う位置に設置されている。放送用ジャンパは、ステップ下部に台座付きで設置されている。タイフォンはシャッター式に改造されている。
側面では、運転室窓のバランサー点検蓋が追設されており、塞ぎ板が溶接されている。0番台車ながら長大編成対応の5次車以降に準じ乗降扉下部隅に丸窓が開けられている。3位側側面に4VK冷房発電セットの吸気口が開けられている。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下は、後位側に4VK冷房発電セットが搭載されている。水タンクは原形の鋼製タンクのままである。4次車までが装備していた発電動機箱は、4位側デッキ床下に設置されている。


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