キハ28 91 → キハ28 2091 → キハ28 5505



1962年5月18日帝国車両製の3次車で、昭和36年度第2次債務で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット90〜93のうち、91〜93が千葉へ配置された。千葉では房総各線の準急・急行で活躍した。千葉では長く活躍し、1972年12月13日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2091へ改番された。1974年10月には総武本線の全線電化が完成しこれを受け「50-3改正」で千葉地区の急行は全廃され、当車は1975年3月18日付で名古屋へ転出した。名古屋では残存していたキハ55系を駆逐し名古屋起点の急行「のりくら」「紀州」「きそ」等で活躍した。名古屋での活躍は短く、「53-10改正」で中央本線の急行が大幅に廃止されこれに伴い中部地区のキハ58系に大きな動きが発生し、当車は1978年10月5日付で七尾へ転出した。七尾ではキハ55系や非冷房キハ58系に代わり急行「能登路」で活躍を開始した。そしてそのままJR西日本へ継承された。JR化後は急行「能登路」用となり、ボックスシートのまま1988年度中に「七尾急行色」へ塗装変更された。1991年9月1日のダイヤ改正では七尾線の和倉温泉までの電化及び以遠の第三セクター化が行われ七尾の気動車配置は廃止され、当車は播但線・姫新線の客車置き換えに転用されることとなり、1992年3月6日付でロングシート化改造を受け、5505へ改番されて姫路へ配置された。姫路では当初「七尾急行色」のまま活躍しまだら塗装で話題となったが、1994年3月9日付で新たに制定された「姫路色」へ変更された。その後も播但線・姫新線で活躍したが、需要の拡大とキハ58系の老朽化により播但線の電化が行われることになり、1998年3月ダイヤ改正で電化されキハ58系5500番台は余剰となり、1998年5月1日付で廃車となった。

前面は、金沢時代に前面補強されているが、補強板の境界線が目立たないタイプである。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置へ移設されている。放送用ジャンパは、ステップ下部に設置されている。テールライトは運転席側のみ外ばめ式に改造されており、金沢地区のみで見られた形態である。タイフォンは原形のスリット式カバーであるが、助手席側に傘状のカバーが設置されている。正面窓上の水切りは撤去されているが、通風口は残存している。当車は千葉時代のヘッドマークステイを貫通扉に残している。
側面は、前面窓から延びる水切りが撤去されている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋が溶接で止められている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態であるが、クーラーはメッシュタイプのルーバーのものが取り付けられている。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは新型のFRP製に交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、1位側乗務員室床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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