キハ28 93 → キハ28 2093



1962年5月18日帝国車両製の3次車で、昭和36年度第2次債務で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット90〜93のうち、91〜93が千葉へ配置された。千葉では房総各線の準急・急行で活躍した。千葉では長く活躍し、1972年10月27日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2093へ改番された。1974年10月には総武本線の全線電化が完成しこれを受け「50-3改正」で千葉地区の急行は全廃され、当車は1975年3月18日付で名古屋へ転出した。名古屋では残存していたキハ55系を駆逐し名古屋起点の急行「のりくら」「紀州」「きそ」等で活躍した。「53-10改正」後は「のりくら」「紀州」がメインの運用となったが、「60-3改正」で「紀州」が廃止され、国鉄最後の「「61-11改正」で急行「のりくら」が削減されたことから余剰となり、1986年11月1日付で急行「能登路」用に七尾へ転出しそのままJR西日本へ継承された。JR化後はボックスシートのまま急行専属車両とされ、1989年8月4日付で「七尾急行色」へ塗装変更された。1991年9月1日のダイヤ改正では七尾線の和倉温泉までの電化及び以遠の第三セクター化が行われ七尾の気動車配置は廃止されたが、当車は引き続き残った急行「能登路」用として1991年9月1日付で金沢運転所へ転出し、これに先立ち1991年6月21日付で黄色ベースの「能登路色」へ変更された。以後急行「能登路」で引き続き活躍したが、2002年3月22日のダイヤ改正で同急行は廃止され、当車も2002年3月31日付で廃車となった。

前面は、名古屋時代に前面補強されている。正面窓上の通風口・水切りは延命工事の際に撤去されている。延命工事施工時に熱線入りガラスに変更されたのでデフロスタは装備しない。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが大きく下がっている。テールライトは外ばめ式に改造されている。タイフォンカバーはスリット式である。制御用ジャンパ受栓は左右離れた位置に付いている。放送用ジャンパ受栓は、後期車に準じステップ一体型に改造されている。当車は千葉時代のヘッドマークステイを貫通扉に残している。
側面では、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。正面雨どいが撤去された関係で、乗務員室側窓上部に水切りが追加されている。運転室窓のバランサー点検蓋が追設されており、塞ぎ板が溶接されている。乗降ドアの戸袋点検蓋が、後期車のような横長のものに更新されている。
屋根上は延命時にすべての通風器がガーランドベンチレーターに交換されていたが、後に断面5角形の箱型ベンチレーターへ交換されている。
床下機器は1990年代以降の松任工場標準の、グレー台車になっている。油タンクは角型の新型に更新されている。後位側では、汚物処理タンクが設置されている。


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