キハ28 95 → キハ28 2095



1962年5月30日帝国車両製の3次車で、昭和36年度第2次債務で高松運転所に新製配置された。同一ロット94〜97のうち、94・95が高松へ配置された。高松では四国全域の急行で活躍したが、1969年より強馬力のキハ65が投入されるとキハ28は他区へ転出するようになり、当車は1970年6月29日付で千葉へ転属した。千葉では房総地区全域の急行で活躍し、1971年度中に冷房化及び発電エンジン搭載改造が行われ、2095へ改番された。しかし早くも1972年7月の外房線・内房線全線電化の際に捻出され、当車は1972年7月21日付で再び高松へ転属した。高松転出に際しは四国では晩年のその後はキハ26に代わり主に平坦な徳島方面の急行で使用され、1973年以降手狭になってきた高松運転所の高徳本線運用が徳島気動車区へ移管され、当車も同年度中へ徳島へ転出した。以降は比較的平坦な徳島地区の急行列車で使用されたが、、「60-3改正」で急行の減車が行われると余剰となり、1985年4月17日付で廃車となった。

前面は、多度津工場で四国タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが運転席窓下の手すりは手を加えられていない、四国標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置はタイフォン下部で寄り添う位置へ設置されている。放送用ジャンパ受栓は、助手席側タイフォン右上に、後期車と同じステップ一体型の受栓台座を設けている。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。当車は千葉配置時代に千葉ヘッドマークステイを貫通扉に装備していたが、腐食のためか末期は無くなっていた。
側面はほぼ原形のままであるが、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はなない。。
床下では、4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、4位側デッキ床下へ設置されている。水タンクは新型のFRP製のものに交換されている。


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