キハ28 96 → キハ28 2096 → キハ28 5506



1962年5月30日帝国車両製の3次車で、昭和36年度第2次債務で岡山気動車区に新製配置された。同一ロット94〜97のうち、96・97が岡山へ配置された。岡山では山陽本線の他津山線・伯備線の横断路線の準急・急行で使用開始した。後に山陽本線は電化により急行が無くなり、主に伯備線や津山線・因美線・姫新線の急行で活躍した。「47-3改正」後は主に急行「伯耆(しんじ)」「砂丘」「みささ」で活躍し1973年5月30日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを実施し2096へ改番された。「55-10改正」で岡山担当の急行列車で減車が行われ当車は捻出され、1980年10月10日付で七尾へ転出した。七尾ではキハ55系や非冷房キハ58系に代わり急行「能登路」で活躍を開始した。そしてそのままJR西日本へ継承された。JR化後は急行「能登路」用となり、ボックスシートのまま1988年度中に「七尾急行色」へ塗装変更された。1991年9月1日のダイヤ改正では七尾線の和倉温泉までの電化及び以遠の第三セクター化が行われ七尾の気動車配置は廃止され、当車は播但線・姫新線の客車置き換えに転用されることとなり、1992年3月11日付でロングシート化改造を受け、5506へ改番されて姫路へ配置された。姫路では当初「七尾急行色」のまま活躍しまだら塗装で話題となったが、1994年2月22日付で新たに制定された「姫路色」へ変更された。その後も播但線・姫新線で活躍したが、需要の拡大とキハ58系の老朽化により播但線の電化が行われることになり、1998年3月ダイヤ改正で電化されキハ58系5500番台は余剰となり、1998年5月29日付で廃車となった。

前面は、岡山時代に高砂工場にて前面補強されている。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で寄り添う位置へ移設されている。放送用ジャンパは、関西地区で多く見られるタイフォンとテールライトの間へ移設されている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンは原形のスリット式カバーであるが、助手席側に傘状のカバーが設置されている。正面窓上の水切りは撤去されているが、通風口は残存している。
側面は、前面窓から延びる水切りが撤去されている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋が溶接で止められている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは原形の鋼製タンクのままである。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、1位側乗務員室床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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