キハ28 97 → キハ28 2097



1962年5月30日帝国車両製の3次車で、昭和36年度第2次債務で岡山気動車区に新製配置された。同一ロット94〜97のうち、96・97が岡山へ配置された。岡山では山陽本線の他津山線・伯備線の横断路線の準急・急行で使用開始した。後に山陽本線は電化により急行が無くなり、主に伯備線や津山線・因美線・姫新線の急行で活躍した。「47-3改正」後は主に急行「伯耆(しんじ)」「砂丘」「みささ」で活躍した。当車の冷房化は遅く、キハ58系冷房化最末期の1979年4月26日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを実施し2097へ改番された。「57-7改正」で伯備線電化により急行「伯耆」が廃止された後は「砂丘」の増強に回ったが、「60-3改正」で急行「みささ・みまさか」の減便が行われた際に岡山の所用数が減少し余剰となり、1985年4月14日付で志布志機関区へ転出した。志布志には老朽化したキハ25やキハ26が多く残っており、これらの置き換えのためであった。志布志では日南線・志布志線・大隅線で活躍した。しかしJR化前に志布志線・大隅線は廃止されることが決まっていたため、当車は他区の廃車予定車と交代し1986年11月に竹下へ転属した。そしてそのままJR九州へ継承された。竹下では博多近郊の普通列車で使用されたが、1988年3月に直方との間で車両交換及び運用移管があり、当車は直方へ転属した。直方転属後は九州色へ変更され、筑豊地区の普通列車で使用された。1989年3月には需給の関係で再び竹下へ転属し、博多近郊の普通列車で使用された。1991年3月には筑豊地区へキハ200が初めて新製投入され、当車は玉突きで1991年3月16日付で大分へ転属した。大分では客車列車を置き換え原形シートのままで活躍し、豊肥本線・久大本線の非ワンマン列車で使用された。久大本線のワンマン運転開始後も引き続き使用され、1997年には香椎線へのキハ200投入に伴う車両転配で相棒のキハ58は若番の原形シート車から後期車の近郊化改造車へ後退したが、キハ28はもともと絶対数が少なかったことから代替車が無く、そのまま継続して使用された。しかし最期は2001年10月に筑豊本線・篠栗線が電化された際に大幅な車両転配が行われた際に余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、岡山時代に高砂工場で関西タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは原形のWP35のままで、正面窓下手すりも原形の位置のままである。制御用KE53ジャンパ受栓は、タイフォンの下部に寄り添う位置に設置されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されている。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。正面窓上の雨どい・通風口は原形のまま残っている。竹下・大分時代特有の「タウンシャトル」の逆台形状のヘッドマーク受けが取り付けられている。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。運転席側窓バランサー点検蓋が追設されている。
屋根上は、全ての通風器が撤去されており、晩年の九州の特徴である。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項である。機関は原形のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。2000番台であり4VK発電セットを取り付けている。


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