キハ28 98 → キハ28 2098



1962年6月6日帝国車両製の3次車で、昭和36年度第2次債務で米子機関区に新製配置された。同一ロット98〜101全車が米子へ配置された。米子では急行「だいせん」をはじめとして山陰本線・伯備線の急行列車で活躍した。1966年度には山陰本線の急行運用の一部を福知山へ移管したことから、当車は同年度中に同一ロットの仲間全車共に福知山へ転属した。以降は急行「だいせん」の豊岡回転車をはじめ、急行「丹後」「丹波」等で活躍した。この状態は長く続き、1972年6月21日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2098へ改番された。1972年度には福知山区の急行型の約半分を豊岡へ分散することになり、当車は同一ロットの仲間全車とともに豊岡へ転属した。豊岡では引き続き急行「丹波」「丹後」及び「だいせん」の増結車をメインに活躍した。「55-10改正」に伴う車両転配では水戸から非冷房のキハ28 64が転入し当車は玉突きで1980年10月13日付で新潟へ転属した。新潟では同改正以降急行の冷房化を進めることとなり、各地から冷房車が集められ主に急行「いいで」「あがの」「あさひ(後のべにばな)」「羽越」等で活躍した。しかし国鉄末期のダイヤ改正ごとに新潟地区の急行列車は縮小の一途を辿り、「60-3改正」で急行「べにばな」の3両編成化及び急行「あがの」の快速格下げ後は余剰となり、保留車として在籍したのち1986年12月20日付で廃車となった。

前面は、前面補強されていない。ワイパーは強化型のWP50に更新され、それに伴い手すりが若干下がっているのは、新潟地区の標準スタイルである。制御ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置へ移設されている。放送用ジャンパはステップ下部に台座付きで設置されている。テールライトは左右ともに原形の内ばめ式のままである。タイフォンカバーは国鉄新潟地区特有の竹槍状のカバーである。デフロスタは新潟地区特有で、左右両側に取り付けられている。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点は無い。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは原形の鋼製タンクのままである。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、1位側乗務員室床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。単線型スノープロウを取り付けている。


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