キハ28 100 → キハ28 2100



1962年6月6日帝国車両製の3次車で、昭和36年度第2次債務で米子機関区に新製配置された。同一ロット98〜101全車が米子へ配置された。米子では急行「だいせん」をはじめとして山陰本線・伯備線の急行列車で活躍した。1966年度には山陰本線の急行運用の一部を福知山へ移管したことから、当車は同年度中に同一ロットの仲間全車共に福知山へ転属した。以降は急行「だいせん」の豊岡回転車をはじめ、急行「丹後」「丹波」等で活躍した。この状態は長く続き、1971年5月5日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2100へ改番された。1972年度には福知山区の急行型の約半分を豊岡へ分散することになり、当車は同一ロットの仲間全車とともに豊岡へ転属した。豊岡では引き続き急行「丹波」「丹後」及び「だいせん」の増結車をメインに活躍した。豊岡では国鉄末期まで活躍したが、「61-11改正」で福知山線電化により急行「丹波」が全廃された際に余剰となり、当車は紀勢東線の普通列車体質改善のため11月3日付で伊勢へ転属した。そしてそのままJR東海に継承された。JR化後は紀勢本線・参宮線で活躍したが、JR東海では1989年3月改正でキハ11を大量投入により老朽気動車の淘汰を早くも実施し、当車は1989年9月2日付で廃車となった。

前面は、豊岡時代に後藤工場タイプの前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパ受栓は、福知山・豊岡地区特徴の、タイフォンの上部付近へ移設されている。タイフォンカバーはシャッター式に改造されている。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。また当車は伊勢時代に種別表示幕の横に携帯式列車無線アンテナ挿しが設置されており、JR化初期の伊勢・亀山・中込配置経歴車の特徴である。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は5次車以降に準じ、乗降扉下部隅に丸窓が設置改造されている。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点は無い。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは新型のFRP製のものに交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、1位側乗務員室床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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