キハ28 102 → キハ28 2102 → キヤ28 1



1962年6月21日帝国車両製の3次車で、昭和36年度第2次債務で盛岡機関区に新製配置された。同一ロット102・103のうち、当車のみが盛岡へ配置された。盛岡では東北本線系統の幹線急行で使用開始し、1967年から1968年の一時期秋田へ転出するがその後再び盛岡へ戻っている。その後1972年より始まった急行「しらゆき」の一部冷房化で当車もその対象となり、1974年3月25日付で秋田へ転出したのち、1974年4月20日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けで2102へ改番された。秋田では長く急行「しらゆき」で活躍したが、国鉄末期の「57-11改正」で廃止され当車も余剰となり、11月19日付で山形へ転出した。山形では「57-11改正」以降残った急行の冷房化を推進しており、急行「月山」「もがみ」で使用された。その後急行「もがみ」が廃止された際に多くの仲間が廃車となったが当車は復活した急行「よねしろ」用となり、1986年10月29日付で秋田へ転出した。そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後も急行色のまま引き続き秋田配置で急行「よねしろ」を中心に使用されたが、急行「よねしろ」のアコモ改造を行うことになった際に当車はその対象から外れ余剰となる。しかし当車は盛岡の乗務員訓練車にとして活用されることになり、1991年1月23日付でキヤ28へ改造されるとともに、機関もニイガタ製DMF13HZへ換装された。その後は盛岡で事業用で活躍したが、老朽化のため2008年4月8日付で廃車となった。

前面は、秋田時代に前面補強されている。ワイパーは原形のWP35のままであるが、前面窓下の手すりは若干下がっている。制御用ジャンパ受栓は、非冷房車の位置のままであり、郡山工場で冷房化された車両に一部見られた形態である。放送ジャンパ受栓は、秋田地区標準のテールライトの外側付近へ移設されている。テールライトは内ばめ式のままである。タイフォンは回転蓋式に改造されている。正面窓上の水切りは残存しているが通風口は左右とも撤去されている。
側面は、ほぼ原形のままである。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は乗降ドア戸袋部の点検蓋が、後期車のような大型の蓋に改造されている。
屋根上は、全ての通風器が撤去されているが、台座等が残ったままである。
床下では、エンジンがニイガタ製DMF13HZへ更新されている。油タンクは原形のままである。キヤ28へ改造時に便所が撤去されているが、床下の水タンクはそのまま残置されている。タンク自体は原形の鋼製のものである。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、1位側乗務員室床下へ設置されている。


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