キハ28 104 → キハ28 2104



1962年5月14日東急車両製の3次車で、昭和36年度第2次債務で大分機関区に新製配置された。同一ロット104〜107のうち、104〜106が大分へ配置された。大分では主に九州横断の急行列車に使用されたが、1964年度には竹下へ移動し、長崎本線系統の急行を中心に、各方面へ向かう急行の付属編成等で活躍した。1966年度には需給の関係で鹿児島へ転出するが、翌1967年度には直方へ転出し、800番台に混じり急行「はんだ」「日田」等で非冷房のまま活躍した。1972年度には波動輸送の減少により長崎へ転出し、1973年12月26日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2104へ改番された。長崎では急行「いなさ」「弓張」等の長崎本線系統の急行で活躍したが、長崎本線電化による1976年7月1日のダイヤ改正で竹下へ移動した。竹下では引き続き残存した急行「出島」「弓張」で活躍したが、「55-10改正」では気動車急行の特急格上げ及び短編成化により余剰となり、1980年10月9日付で七尾へ転出した。七尾ではそれまでのキハ55系に代わり急行「能登路」で国鉄末期まで活躍し、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は急行「能登路」用となり、ボックスシートのまま1988年3月3日付で「七尾急行色」へ塗装変更された。1991年9月1日のダイヤ改正では七尾線の和倉温泉までの電化及び以遠の第三セクター化が行われ七尾の気動車配置は廃止され、当車は9月中に小郡へ転出した。小郡ではそれまでの50系客車に代わり山陰本線西部や山口線で活躍を開始した。転入後黄色ベースの「広島普通色」へ塗装変更されている。途中1995年10月1日には組織改正で山口鉄道部となったが運用は変わらない。小郡では長く活躍したが、1990年代後半降各地からキハ40系が転入し、当車は老朽化のため2000年2月9日付で廃車となった。

前面は、金沢時代に前面補強されているが、補強板の縁は平滑に仕上げられており分かりづらい。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置へ配置されている。放送用ジャンパは後期車のようにステップ一体型に改造されている。テールライトは内ばめ式のままである。タイフォンはスリット式のままである。正面窓上の水切りは撤去されているが、通風口は残存している。
側面は、前面窓から延びる水切りが撤去されている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋が溶接で止められている。また広島地区の特徴として側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは新型のFRP製に交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、1位側乗務員室床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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