キハ28 107 → キハ28 2107



1962年5月14日東急車両製の3次車で、昭和36年度第2次債務で郡山機関区に新製配置された。同一ロット104〜107のうち、当車のみ郡山へ配置された。郡山では1962年6月10日より新設された急行「ばんだい」に使用された。1963年には東北地区内での車両交換で秋田へ転出した。秋田では急行「おが」等の奥羽本線系統の急行で主に活躍した。1965年には秋田への長大編成車新製投入により青森へ転出した。青森では主に急行「しらゆき」や、北東北の支線急行で活躍した。青森では長く活躍したが、1971年10月の奥羽本線全線電化によるダイヤ改正で青森担当の急行が減少し、当車は長野の担当する急行の冷房化を推進するため当車は1972年3月4日に長野へ転出した。、転出後の1973年8月29日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2107へ改番された。以降急行「きそ」「ちくま」「越後」「ゆのくに」で広範囲に活躍した。しかし前記急行が全廃された「53-10改正」で余剰となり、当車は1978年9月29日付で七尾へ転出した。七尾ではそれまでのキハ55系に代わり急行「能登路」で国鉄末期まで活躍し、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は急行「能登路」用となり、ボックスシートのまま1988年3月17日付で「七尾急行色」へ塗装変更された。1991年9月1日のダイヤ改正では七尾線の和倉温泉までの電化及び以遠の第三セクター化が行われ七尾の気動車配置は廃止され、当車は9月中に小郡へ転出した。小郡ではそれまでの50系客車に代わり山陰本線西部や山口線で活躍を開始した。転入後黄色ベースの「広島普通色」へ塗装変更されている。途中1995年10月1日には組織改正で山口鉄道部となったが運用は変わらない。小郡では長く活躍したが、1990年代後半降各地からキハ40系が転入し、当車は老朽化のため2002年2月14日付で廃車となった。

前面は、金沢時代に前面補強されているが、補強板の縁は平滑に仕上げられており分かりづらい。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部に寄り添う位置に設置されている。放送用ジャンパは後期車のようにステップ一体型に改造されている。テールライトは内ばめ式のままである。タイフォンはスリット式のままである。正面窓上の水切り・通風口は左右とも撤去されている。
側面は、前面窓から延びる水切りが撤去されている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋が溶接で止められている。また広島地区の特徴として側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは新型のFRP製に交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、後位側デッキ床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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