キハ28 109 → キハ28 2109



1962年5月22日東急車両製の3次車で、昭和36年度第2次債務で宮原機関区に新製配置された。同一ロット108〜111のうち、108・109が宮原へ配置された。宮原では新設された急行「越前(後の急行きたぐに→越後)」で使用された。1964年には宮原へ増備車として長大編成用キハ58が投入され、キハ28の一部は同年度中に岡山へ転属した。岡山では主に伯備線や津山・因美線の急行で活躍した。岡山での活躍は長く、1971年12月24日付で冷房化及び発電エンジン搭載改造が行われ、2109へ改番された。その後も主に急行「伯耆」「砂丘」「みささ」で活躍したが、「55-10改正」で岡山担当の急行列車で減車が行われ当車は捻出され、1980年10月10日付で七尾へ転出した。七尾ではキハ55系や非冷房キハ58系に代わり急行「能登路」で活躍を開始した。七尾には各地から比較的車齢の高い初期車が集められたが、国鉄最後の「61-11改正」時に、廃止が決まっていた越美南線を運用していた美濃太田機関区との間で車両交換が行われ、美濃太田から後期車が七尾へ転出し、当車は1986年10月26日付で美濃太田へ転出した。その後予定通り1986年12月10日越美南線の廃止で余剰となり、JRに継承されること無く、1987年2月9日付で廃車となった。

前面は、岡山時代に高砂工場にて前面補強されている。ワイパーはWP35のままで、運転室窓下の手すりも原形のままである。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で寄り添う位置へ移設されている。放送用ジャンパは、関西地区で多く見られるタイフォンとテールライトの間へ移設されている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンは原形のスリット式カバーであるが、助手席側に傘状のカバーが設置されている。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。また5次車以降に準じ、乗降扉下部隅に丸窓が追設されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは原形の鋼製タンクのままである。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、4位側デッキ床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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