キハ28 112 → キハ28 2112



1962年5月29日東急車両製の3次車で、昭和36年度第2次債務で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット112〜115全車が千葉へ配置された。千葉では房総半島の急行で使用され、一時期運用の関係で館山へ配置されていたが、1969年には千葉へ戻っている。非冷房のまま千葉で活躍していたが1972年の外房線・内房線電化の際に捻出され、1972年7月21日付で長崎機関区へ転出した。長崎では急行「いなさ・弓張」等の長崎本線系統の急行で使用され、九州では最末期にあたる1974年10月2日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けで2112へ改番された。引き続き急行で活躍したが、「57-11改正」で長崎本線の急行が全廃された後は旧型客車やキハ55系に代わり普通列車で使用されるようになった。しかし「59-2改正」で715系電車投入により気動車普通列車も電車化が進められ、当車は老朽車淘汰のため1984年2月2日付で直方へ転出した。これにより非冷房の800番台が捻出されている。以降は九州北部のローカル輸送に使用され、1986年3月3日には需給の関係で竹下へ移動し、そのままJR九州へ継承された。JR化後は1987年度に再び直方へ転出し、筑豊地区をメインに活躍した。1988年11月2日付で近郊化及び九州色への変更が行われ、ローカル専属となった。1991年には筑豊地区へのキハ200増備により捻出され、近郊化改造車は久大本線客車列車置き換えのため1991年12月13日付で大分へ転出した。大分では転出直後にワンマン化され、豊肥本線及び久大本線のワンマン列車で活躍した。しかし1994年には久大本線ワンマン用にキハ125形が投入されることになり、当車は鹿児島地区のワンマン化推進のため1994年3月度で鹿児島運転所へ転出した。鹿児島では宮崎運転所運用となり、日南線を主体に運用された。日南線では長く使用されたが、2001年10月に筑豊本線・篠栗線が電化された際に大幅な車両転配が行われ、日南線へキハ31が転入しキハ58系は捻出された。当車は廃車とはならず鹿児島運転所本所へ移動し、引き続き指宿枕崎線・肥薩線・吉都線で使用されるようになった。しかし2005年の運用見直しにより余剰となり、2005年3月17日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等は、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、千葉地区の名残でステップ一体型の受栓となっている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の通風口と雨どいが撤去されており、鹿児島地区の標準スタイルである。また、鹿児島地区では降灰の関係上デフロスタを装備している。鹿児島地区標準のフック式のヘッドマークステイが貫通扉に取り付けられているため、千葉時代のヘッドマークステイは撤去されている。
側面は、近郊化改造が施工されているので、洗面所が撤去されており、当該箇所の臭気抜き窓がなくなっている。当車は乗降扉戸袋点検蓋が後期車に準じた大型のものに更新されている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
屋根上は、全ての通風器が撤去されており、晩年の九州の特徴である。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。機関は原形のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。2000番台であり4VK発電セットを取り付けている。水タンクは、新型のFRP製のものに交換されている。
妻面は、九州の近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。


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